序:演奏家の振る舞いと身体をめぐるインタビューについて

音楽家の身体と振る舞いをめぐるレクチャー・パフォーマンス『アイム・ミート!東京公演』のためのリサーチで、2026年4月、複数名の西洋音楽を実践する演奏家にインタビューをおこなった。本WEBサイトには、ご協力いただいた方々のうち、アーカイブとして公開できるものを掲載している(2026年5月時点)。

以下、一連のインタビューを企画した意図と、編集方針と、わたしの個人的な所感をまとめておきます。

企画意図

『アイム・ミート!』はおもに「クラシック音楽」のヴァイオリニストをめぐる作品だが、今回はクラシックだけではなく、ひろく「西洋音楽」──現代音楽や即興演奏等を含む──を実演する、弦楽器属の演奏者にご協力をお願いした。クラシック音楽的な身体や振る舞い、制度を、もうすこし広い視野で見つめたいと考えたのと、単純に構造的な問題として、「クラシック音楽」という市場制度の只中に身を置く人は、今回のような取材にはそもそも応じにくいだろうと考えたからだ(いつかは、そういった人々の話も聞きたいのだが、その人たちの話をこうして表に出せる可能性は限りなく低いとおもう)。

質問内容は、いくつか、全員に共通してたずねたものもあったが、基本的に話はいろいろな方向に広がった。演奏技法的な話もあれば、精神性に触れるもの、幼少期や学生時代の体験談。そのひとがいま、わたしの目の前で「話したくなっている」ことが膨らむように、進行したとおもう。結果として「インタビュー」より「対談」っぽさがなくもないけれど、メインで話しているのは取材相手なので、インタビューのほうが適切だと判断した。

取材と編集方針

いわゆる「インタビュー記事」は、その演奏家のブランディングやマーケティングのために行われ、雑誌や新聞といったメディアに掲載される。そこで行われる執筆は、個人的な感覚で言えば翻訳に近い。話し言葉を、書き言葉に清書する。できるだけ語尾の重複を避ける。可能な限り、誤読を招かない、マイルドでやわらかなことばに置き換えていく。

今回のインタビューでも、WEB上に公開するという特性上、もちろん、そういった作業はおこなった。けれど一方で、できるだけ、話してくれた人たちの声質がイメージできるような、生きているというか、生っぽさというか、──つまりなんらかの“肉”っぽさみたいな、そういうものが、すこしでもアーカイブできるよう、つとめたつもりである。

所感

自分の過去や振る舞い・内面を振り返る演奏家を目の前にしたとき、かれら彼女らではなく、かつての自分を見通す自分に気がついたのは、何人目の取材だったか。レッスン室で、コンクールの会場で、受験会場で、舞台で、リハーサルで、ふとした休憩時間で、演奏家/ヴァイオリニストとして振る舞い続けてきた「わたし」。わたしは、他者の話やことばを聴き出し、テキストとしてまとめながら、常に、ここではないいつかの、かつてのあまたの「わたし」を咀嚼せざるをえなかった。

どこかで耳にしたことばもあった。思いもしなかったことばもあった。

かつての「わたし」が出会いようのなかった、他なる演奏家のことばたち。

これまであまたのことばをこの身に刻んで、埋め込んできた「わたし」が、いま、あたらしいことばを目の当たりにして、何を選ぶべきなのだろう。

このインタビューの内容が直接『アイム・ミート!』のパフォーマンスに影響するかは、正直、これを書いている時点ではまだ不透明で(そろそろ透明にしなくちゃいけないのだが)、でも、間接的な影響はすでにある。

最後にあらためて、リサーチ/取材に協力してくださったみなさんに、感謝申し上げます。

このインタビューは、『アイム・ミート!東京公演』パフォーマンス制作のためのリサーチとして行われたものです。