Photo by Kazutaka Monden

ヴァイオリニストのためのフィクション
加藤綾子 ソロ・リサイタル・シリーズ
Fiction for violinist – AYAKO KATO, Solo recital series

加藤綾子、2年ぶりの無伴奏リサイタル

「このヴァイオリニストはすべてフィクションです。」
クラシック〜現代音楽作品の実演や、即興パフォーマンスなどを通して、
他者と“わたし”、交錯する身体を考察する

ヴァイオリニスト・加藤綾子による独奏リサイタル。
さまざまな国、時代、スタイルの作品(フィクション)を通して、

誰かが見ていた身体とわたしの身体をまなざす。

TEXT

 

解説:加藤綾子、小栗舞花(新作)
Text by Ayako KATO* *in Japanese only

プログラムノート──
ヴァイオリニスト、あるいは他者というフィクションについて(文:加藤綾子)

 リサイタルとは、ある種の儀式の場だ。そこに立ち上がる肉体は、生々しさを伴いながら、彼ら/彼女らではない身体を映し出す。自分自身でありながら自分自身ではない、ぶれた・ずれた・ねじれたフィクションがそこにある。

 今回のプログラム中、もっとも振付的におもえる作品がサーリアホ「ノクターン」だ。彼女の譜面には、詳細な弓の位置、強弱が記載されている。“指板のほうで”“駒のほうで”。ほとんど無音を意味する「◯」のマーク。彼女が示したとおりに身体を置いていくだけで、音楽が鳴る。1本の開放弦が含むいくつもの倍音は、やがて200年前の、もっともわたしたちから遠い時代・国の架空──テレマン「12のファンタジア」を呼び寄せる。
 現実は、ことばによって形作られる。わたしにとってもっとも現実的で身近なことばを夥しく残した林光は、「独奏ヴァイオリンのためのソナタ」についても、詳細な成り立ちを語っている。単一楽章の楽曲として、インジフ・パズデラというヴァイオリニストによって初演されたこと、その後改訂を経て全3楽章の作品になったこと、それぞれの楽章は“パズデラ氏の要望によって”「Labyrinthe」「Air」「Ciaccona Vivo」と名付けられたこと──ソナタとは、複数の楽章を持つ器楽のための楽曲を指し、ソナタ形式の楽章が含まれることが多い。が、今回演奏する2曲の「ソナタ」は、いずれもソナタ形式の影は薄く、いくつか重要なテーマを示しながら、作曲者の指が、声が、頭が導く道なりを行く。
 全部で5楽章からなるヴァインベルク「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第1番」は、冒頭で示されたテーマが鍵となる。何度も打ち鳴らされる重音の連なり。低音から高音へ、下から上へ、時に信じられない跳躍をあっさり書いてのけながら、それでもヴァインベルクは常にうたを忘れない。どんなにフォルテの「f」を重ねても、不規則な黒い音符を書き連ねても、常にそこにはうたがある。5楽章に及ぶ長いダンスの果てに、ヴァインベルクはもういちど、最後のうたを叫ぶ。

楽曲解説──
「生前のバイオリン、こないだの人」について(文:小栗舞花)

 昔々、身体の一部だったバイオリンはもうここにない。
 いつもの部屋の木の柱。最近、木目に目がひきよせられる。弾いたことのないウクレレの丸み、なぜだか左の鎖骨を寄せたくなった。
 失ったものの痕跡はどうしてこんなに強く残るのだろう。
 部屋にはいないはずの人がいる。いないはずのバイオリンがある。
 わたしは二つの不在と共に生きる、一人のバイオリニストだ。

※本作品は、昼/夜公演による演出の違いがございます。
 昼公演:小栗舞花本人が「いないはずの人」としてパフォーマンスに参加します。
 夜公演:加藤さんがソロで演奏します。架空の小栗(不在の人間)とのデュオを表現します。

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