昨日の即興は、本当によいものができたと思っています。ぜひ配信アーカイブをみてください。
という一文で終わってしまうのもさみしいので、昨日のライブについて書きます。
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2021年12月
この記事ではあえて、私個人にフォーカスして書きます。
以前すこし書いたように、去年12月は多くの公演に足を運び、その都度、かなり重たい衝撃を受けました。そのうちのひとつが、もうひとつの“ピアノとヴァイオリンによる即興デュオ”──照内央晴さんと、ヴァイオリニスト・喜多直毅さんの即興ライブです。
喜多直毅さんは、ヴァイオリンで即興といえばおそらく真っ先に名前が出てくる人で、私自身、即興に傾倒し始めた頃から、その名前をずっと視界のどこかで意識し続けていました。YouTubeなどにその演奏が上がっていて、即興だけでなく自作曲を多く演奏し、タンゴを演奏し、即興し、──そしてその喜多直毅さんが、私を即興シーンに引き入れてくれたひとりである照内央晴さんとデュオを組んでいるとなれば、必ず、これは必ずみなくては行けない、そう思いながら私はいつの間にかベルギーにいて、ようやく実現したのが2021年の12月、というわけでした。
ちょうどそれは6度目の「デュオ」が終わった直後で、あのときはあのときでけっこうな充足感に満ちていたのですが、照内さんと喜多さんによる「デュオ」をみたあの日は、その充足感が完全に萎びました。
ピアノとヴァイオリンでできること、というより、即興でできることの極地を見せつけられました。技術もさることながら、私からしたらとても「当たり前」じゃないことを、「当たり前」の選択肢としてひょいっ、と選んで、どんどん音楽を作ってゆく。“自由な”即興ってこういうもんだろう、と見せつけられるようでした。しかもその音楽は、いわゆる「音楽のちから」とかそういうものをねじ伏せて、とても爽快だった。
白状すると、このライブを見てからしばらく、即興をやる気になれませんでした。ピアノとヴァイオリンによる即興、その完成形を見てしまった。そんな思考に陥り、久方ぶりのネガティブに陥りました。
2022年2月10日
そして昨日、7度目の「デュオ」に至る前に、12月のネガティブはどっか行きました。
正確には、12月から昨日までの間に、そのネガティブを飲み込んで、消化して、たぶん血液とか毛髪にして、美容院に行ってカットして、「まあいっか!よろしくなぁ!」つってイッパツキメたのが昨日でした。
2022年1月~2月
照内央晴さんと喜多直毅さんのデュオを受け、私は私の即興に対する態度や思考を変えたり、あるいは、従来の態度や思考をより強く、固く持つようになりました。
例えば、「即興における文脈」。
即興(フリー・インプロヴィゼーション)について語るとき、しばしばイディオマティックとノン・イディオマティックということばが出てきます。これについては書いたものがあるので、せっかくだから読んでください。ネット上でいちばんわかりやすく、現状に沿った即興(フリー・インプロ)の解説記事という自信があります。
そして私の周りの即興演奏家には、後者を好む人が圧倒的に多く、また、そういった演奏が実際に好まれる傾向があります(好まれる、評価される、etc…)。これはたぶん、間違いなく事実だと思います。なぜそういった土壌があるのか、は若輩者がちょっと調べただけでも知恵熱出るくらいの歴史があるので割愛。
実際、むずかしい話だと思います。
たとえば、もし即興で近現代っぽい音楽になったとします。すると必ず、「じゃあ、それ作曲でいいじゃん」というカウンターが飛んできます。ジャズっぽい、バッハっぽい、プロコフィエフっぽい、ポップスっぽい、ようするに「〜っぽい」演奏をするなら、即興じゃなくていいじゃん、と。
けれども私は、いろんな即興の本を読み、テキストを読み、映像を見て、演奏を聴いてなお、「いや、『〜っぽい』音楽を全否定するなら、それこそ作曲のほうが向いてるじゃん」と思ってしまうのです。
諸説あります。
ただ、私が私自身に下した結論は、それです。つまり即興において、「〜っぽい」文脈が発生することを、恐れない。一方で、「なにものでもない」音も、恐れない。
そして2つ目。ヴァイオリンと、ヴァイオリンを演奏するヒトの滑稽さ・奇妙さを、以前より意識するようになりました。だってヘンじゃんこんなの。
私自身、たいそう落ち着きがありません。演奏中、かならず足や身体、どこかが勝手に動いてしまいます。それはとても滑稽で奇妙で、それに加えてヴァイオリンを弾いているのですから、さぞやおかしな姿だろうと思います。
だから、動いてしまったその身体を、あえて押し殺さないことにしました。いままでは動きそう、と思った瞬間に押さえていたものをそのままにする。動きたいほうへ、水が流れてゆくのとおんなじに放っておく。あるいは、動いてから考える。
これはいままでにあまりない感覚でした。なぜって、私にとってヴァイオリンによる即興演奏は、かならず「考えて、納得がいってから」動き出すものだったから。とくに出す音については、そう。いままでの私は、納得できない音は出したくなかった。
だけど、ヒトがヴァイオリンを演奏するということの奇妙さ、そしてその動き(音ではなく)がおよぼす影響を、私はつよく感じ、意識するようになりました。楽器演奏同士の即興は「音」でやりとりするもの──という先入観をなくし、自分の態度が、動きがおよぼす影響をはっきりと意識するようになりました。これは去年から、演劇の人と接する機会が増えたことも理由にあります。
文脈と、身体。この2つが、ここ数ヶ月の私の即興における試みでした。
2022年2月10日(ふたたび)
2022年2月10日、7度目の「デュオ」、第1セットの冒頭はピアノから始まります。
このとき、ピアノってめちゃくちゃドレミだな、ということが頭をよぎりました。そうか、ピアノの鍵盤って、めちゃくちゃ西洋音楽だわ。
もしかしてヴァイオリンは、そのあわいを縫ってゆく楽器なのかもしれない。
じゃ、ドレミっぽいけどドレミっぽくない音ってなんだろう。ノイズっぽいけどノイズっぽくない音ってなんだろう。音響っぽいけど音響っぽくない音ってなんだろう。ヴァイオリンっぽくないけどヴァイオリンっぽい音ってなんだろう。西洋音楽っぽいけど西洋音楽っぽくない、けど西洋音楽っぽいかもしれないし西洋音楽っぽくないかもしれない音楽って、どんな展開だろう。
この日の即興は、そんな思考から始まりました。答えてくれた照内さんに、あらためて感謝を。
公演当日はあいにくの大雪注意報。立ち上がり、駅に向かうことを諦めたあなたに、この日の記録は、どうかみてほしい。切に願います。
2022年3月4日と、その少し前、2月13日
おまけ。新作。
3月4日(金)BandCampより、新作EPをリリースします。
まだ白紙の状態です。
なので、この白紙の状態から「なにをつくるのか」模索する様子を配信します。
2月13日(日) 12:00~ 配信開始です。配信会場はこちら。
12月の衝撃から2月のデュオを経て、また違う方向へ行くのか、この方向をさらに奥へと突き進むのか、まだわかりません。こちらは視聴無料、日曜のランチタイム、ぶらりとお越しください。