ヴァイオリン演奏メモ|音を聴く・耳を使うことと暗譜の関係

「音を聴く」「耳を使う」ってのは、本当のところ、どういうことなのか?

弾く前(実際に音が出る前)に頭のなかで全てが鳴る

究極、頭の中で響き・役割・リズムetc、すべて一瞬で思い浮かべてから弾けているかどうか?それが結果として、「暗譜できている」状態になってるだけなんじゃないか。とか。

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暗譜というと、「音を覚える」とかそういう意味になりがちだけれども、そうではなくて例えば、楽譜を見ながらでも暗譜できている状態が理想なのかもしれない。

案外、楽譜を見ながら弾くのは難しいと思っているので、楽譜を見るんではなく見えている状態に持っていく。

記号としての譜面ではなくて……

譜読み始めたて、あるいはある程度楽曲が頭や体に入ってきたとき、楽譜の音符を自動的になぞっているだけになっていないか? たとえ楽譜が目の前にあっても、目の情報よりさきに頭の中で音楽が鳴っていないと、いざというときの土台がない。

ヴァイオリン無伴奏の作品なんか見てるとわかりやすいけれども、考え方として「なぜ、この配置なのか」「この音はどこからやってきたのか、突然現れたのか」「この和声はどういうふうに流れていくのか」etc…

そのあとに「じゃあどういう移弦をするのか」「左手はどう動くか」とか、身体の面を考えるのであって。何はともあれ頭→耳。頭→耳。

バスが動いているとして、それが実は以前にも出てきた音型だったりするわけだが、「では前回と何が違うのか」、譜面でなく耳からの情報でもっと察せないといけない。当たり前すぎる話だけれども、どうも譜面(というか、書面?)情報に頼りすぎていたんじゃないか。

同じようにアナリーゼするにも、耳をもっと使う、使い方の問題。ほんとこの辺は外国語のラジオを一生懸命聞き取るのと同じ気がする。

譜読みの段階からもっと耳を使え

以前は譜面と文字通りにらめっこしながら譜読みをしていた。そうではなく、譜読みの段階で、もっともっと耳からの情報を選り分ける

ただし譜読み初期の段階でこれをやると、そもそも書いてある音を間違えて覚えるリスクがある。アホみたいで恥ずかしいけれどマジ。ある程度頭ん中で響くようになってきたら、あらためて譜面を読み、もしなにかやらかしていたら、やらかしていたときの響き・実際に譜面にある響き、何がどう違うのか、具体的に細心の注意を払って耳で聴き分けるここのケアをきちんとするとむしろ結果オーライ。

読む→頭→耳→頭→読む……の繰り返し。

死ぬほどゆっくり、本当に本当に確かめながら、頭と楽器、ふたつの方法で音楽を鳴らす

まず、頭の中で本当に、本当に本当に、音・音楽が鳴っているかを確かめる。それができる前に音を出さない。

それから、音を出す。それが本当に、本当に本当に、頭の中の音・音楽と一致しているかどうか、確かめながら。だから必然、死ぬほどゆっくり(楽譜を見ずに)練習することになる。

どうしても音に集中できない、耳のピントが合わないときは強制手段・目を瞑る。自分にものすごく酔ってる演奏家っぽくて嫌なんだけどやむをえない。誰も見てない。ボウイングの調整とかとんでもねー姿勢になってるとかは後から微調整。

今までゆっくりさらうときは神経質になりすぎていたけれども、こういう方向性ならそれほど苦ではない。ただ時間が足りない。集中力とチョコも足りない。休憩挟み挟み、3時間やってようやく、バッハのフーガ1ページって…………おまえ………………このままだとフーガの終わりより三段腹の方が近い。いくらなんでも効率が悪いので、もう少し要領を考える。