善きひと

第一に、まず手紙が書けない。「承知しました」「ありがとうございました」「お世話になっております」の組み合わせの、どれが正しいのかさっぱりわからない。これだけではどうにも骨の継ぎ接ぎ、隙間を埋めようにもどう肉付けすれば良いのかわからない。気がつけば朝が過ぎ、昼が過ぎ、夜になるころには疲れ果てて、あかさたなの群れを睨みながらふと、眠りに落ちる。

朝、考えたことはたいてい、その半日後には変わっている。断じて、軽薄ではない。一生懸命、その時々に一生懸命、考え、考え、どうにか一通の意見を送る。が、そこからまたさらに脳ミソが二転三転するのである。犬を散歩させながら飯を食いながら駅に向かいながら考える、──よかったのか、本当によかったのか、え? おまえ、あれで本当によかったのか? おまえがよくても相手はどうだ? ほかの誰かはどうだ? おまえのことばを小耳に挟んだ人はどうだ? よく考えた、本当にそうか? おまえの浅はかな考えで、誰かに迷惑をかけたらどうする?

どうにもならない。もちろん、返事を見るのも怖い。

まず、送り主を見る。件名を見る。冒頭のあいさつだけが、見える。恐ろしい。目が潰れると思う。深呼吸をいくつか、うろうろと部屋をさまよい、どうにか封を開き、読み込む前にすぐまた前の画面に戻る。罵詈雑言が飛び込んできたらどうしよう。意味がわからないと非難されていたらどうしよう。何をとんちんかんなと侮蔑されていたらどうしよう。「あなたについて、こんな噂を聞きました」「失望しました」「もう二度と」──何度も想像と親指を行きつ戻りつ、ようやく目に飛び込んでくるたった二文字に生き返るのである。

一を考えるともう一つがすっぽ抜けるのだ。部屋を移動しながら考え、なぜこの部屋に来たかを忘れる。湯船に浸かると頭を流したかどうか思い出せない。風呂上がりにはもう風呂に入ったことなど忘れている。本を探しに向かう途中で出しっ放しの眼鏡拭きに気がついて拾って眼鏡を拭いてコンセントに挿しっぱなしの充電器に気がついて抜いて充電が切れかかっていることを思い出す。

「受診票を受け取ったらそちらへどうぞ」

「ええ、はい」

──はて、そちらとはどこだっけ。受診票の番号は覚えているくせに、ただ一枚の紙切れをどこにしまったか、てんでわからない。待合室のだれよりもあたまが悪い。

 

昔のことはやたら覚えている。だからなおのこと、今がわからないのだ。今、この瞬間とかつて、あの瞬間がぐちゃぐちゃだ。

ほらまた固まるのは、あの時あの場所のあの自分に帰っているからだ。ぶったら豚によく似てる──後頭部をはたかれた小学校の玄関、殴り返される前にあなたはそう勝ち誇った。あなたはきっと今頃あの朝礼のことなど忘れている。すぐ泣くからやられるんだと怒鳴ったあなたは不倫した。あるいは、僅差だった、と慰める人々。とてもよかった、よかった、よかった、もう、黙っていてほしい、ダメだったものはダメだったと素直に言われるほうが、百倍救われる。そう思っていたら、お前はとんとん拍子で上手くいきすぎた、抜け殻だ、ずっと前から言おうと思ってた、お前なんて、お前なんて、──あなたはそう言った、

あなたは、

 

あなたは今でも、私を思い出すだろうか。少なくとも、私は今もあなたを思い出し、次に打つはずだった一文字がどうしても思い出せないので行を開ける。

 

受診票はファイルの中に隠れていた。ファイルの中にありませんでしたか、と受付のうつくしい婦人が教えてくれた。240番だった。