2019/01/25「コンプレクス。」公演

先日、2019年1月25日(金)に開催された加藤綾子ヴァイオリン・リサイタル「コンプレクス。」にご来場いただいた皆様、ありがとうございました。

人生初のソロリサイタルだし、せっかくなのでまとめて行きます。「ふーん」な人は、目次から飛んで最後だけでも読んでいってもらえたらうれしい。

加藤綾子ヴァイオリン・リサイタル「コンプレクス。」公演ページ

(写真提供:美竹清花さろん)

 

「コンプレクス。」プログラム

 

[box04 title=”演奏曲目”]

PROGRAM

  • B.バルトーク:ルーマニア民族舞曲
  • S.プロコフィエフ:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ 第1番 へ短調 作品80

PAUSE

  • J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第1番 ト短調 BWV1001
  • 加藤綾子:無伴奏ヴァイオリンによる即興演奏

ENCORE

  • プロコフィエフ/ハイフェッツ:「3つのオレンジの恋」より行進曲
  • バッハ/グノー:アヴェ・マリア
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プログラムノート

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PDFダウンロードはこちらから。

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こだわったところ

キリル文字(合っているのかはわからない)

力尽きたところ

ハンガリー語表記

プログラムノート製作栄誉功労賞受賞・TS8130ちゃん

当日、自宅を発つ15時ギリギリまでプリンタ・TS8130ちゃんにブラック働きしてもらった結果、ご好評いただいたようなので、あとでBK380インクをパンパンに奢ってあげようと思います。ブラックなだけに。

リサイタル感想・レビュー

ご感想

演奏者本人より早く、演奏会の様子をおまとめくださった方々。

 

  • 古楽かふぇ(@jiwatc)様。Twitter上にて。

レビュー

WEB音楽誌「メルキュール・デザール」にリサイタル評を掲載していただきました。執筆は近藤秀秋氏です。

特別寄稿|加藤綾子ヴァイオリン・リサイタル《コンプレクス。》|近藤秀秋

 

なお、こちらに載せきれなかった方々からも、今回は本当にたくさんのご感想をいただきました。みなさま、ありがとうございます。

「コンプレクス。」写真集

衣装、前半はシルバー、後半は紺色にしてみました(提供:美竹清花さろん)

このきれいな楽器と弓の角度はバッハ (提供:美竹清花さろん)

この楽器と弓の角度は間違いなく即興演奏 (提供:美竹清花さろん)

 

「しゃべってるときのテンション低すぎてやばい」 (提供:美竹清花さろん)

ガム食ってるみたいな顔(提供:美竹清花さろん)

即興演奏が思いがけない短さで終了してしまい、別フロア楽屋で待機中の麻紀先生が下りてこられるまでの時間稼ぎに一回出てみたら先生間に合ったでござるの図

 

 

終演後、高校時代の友人と(提供:その友人)

終演後のご挨拶でガチ顔に戻る(提供:照内央晴さん)

おまけ:次回リクエスト

 

[box04 title=”アンケート回答より一部抜粋”]
  • J.S.バッハの作品
  • 明るい曲

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[box04 title=”アンケートじゃないもの”]

  • ジュ”ニ”ドゲェ”ェ”ェ”
[/box04]

最後のひとこと:「クラシックの」

リサイタル前からずっと言おうと思っていたけれど、言えなかったことを書きます。

 

ご存知の通り、私は学生最後の1年間で即興演奏家を名乗り(いまはもう自ら名乗ることはしていません)、さらに大学院修了間際には、クラシック音楽を学ぶ一学生として、ささやかな成果がありました。

ただ、その頃すでに一部の方々から「加藤はそっちの道へ行った」「クラシックはやめた」と思われていたこと、そういった視線に私自身も気づいていました。それなのに、身にあまる賞をいただいてしまったことは、他でもない私自身自覚しておりました。

 

とはいえ、「クラシックをやめた」事実はまるでないし(実際、今も以前もお仕事としていただいているものは、ほとんどがクラシック奏者としてのそれです)、そもそも、「クラシックをやめた」と言ったことは、本当に、一度もありませんでした。

が、それでは火のないところから立った誤解かというと、そんなことはありませんでした。とりわけ大学院ラスト1年間に渡った私の演奏活動なり発信なり、そして何より演奏を省みるに、そう思われる人がいても致し方のないことだったと、いまでは思います。

 

そして、そのツケは、修了直後に回ってきました。

個人的なことですので細かいことは書きません。

 

しっぺ返しを食らった後、割と早い段階で、私は即興演奏家を自ら名乗ることをやめ、そもそも、ヴァイオリンを弾くことさえおぼつかなくなりました。

楽器を弾かなくなると、なおのこと考える時間ばかりが増え、多くの問題の多くの袋小路にたどり着きました。その一つが、即興演奏家を名乗ることで、自分は即興演奏どころか、音楽を続けていくことが難しく、息苦しくなる──という事実でした

たかが25年、それでも、私の音楽に関わる感性も環境も人間関係も、全ての土壌は間違いなくクラシック音楽のそれであり、同時に、私が劣等感に苛まれ、苦しみ、それでもしがみついてきたものも、クラシック音楽だったからです。

 

確かに自分はどうしようもなくクラシック畑の人間であり、クラシックをやめたと思われてしまうほど悲しいことはない。

でも、だからといって、即興演奏をやめる気はさらさらない。そんな風に考えるようになりました。

 

そういうわけで(終わった演奏会について後から演奏者自身が言うのはよろしくないとは思うのですが)、私は今回のリサイタルには、単純に、今までいろんなクラシックのコンサートを見ながら「もっとこうすりゃいいのに」と思ったアイデアも詰め込みました。最初から最後まで、クラシックのコンサートとしてプログラムを組み、クラシックのコンサートとして少しでも意義のあるかたちを考え、クラシック奏者として立つことにしていました。

そういうアイデアや、即興演奏を取り入れたことで、「クラシックのコンサート」という枠組みが崩れることはないと信じていました。

結果、それがうまくいったかどうか、私が意図した通りに観客の皆さんに伝わったかどうかは、演奏者の決めることではないと思います。

 

むすびに、誤解を招きそうなのでもう一度書きますが、即興演奏をやめる気はさらさらありません。

むしろ、即興演奏を続けていくために、改めて私はクラシックの人間ですと、書いておきたい気持ちになりました。まあ要するに何が言いたいかってぇと「加藤はクラシックをやめた」なんて嘘っぱちってことです。誰じゃあ、そんなこと抜かしたやつ! 今ならレニングラード一千一夜の刑で許してあげるから正直に手ぇ上げなさい! 3月9日のデュオ・リサイタルもよろしく!

 

左頬に浮かぶシミの存在に気づき、顔面蒼白となった本番前夜でした。

ご来場いただいた皆様、ご協力いただいた皆様、見守ってくださった皆様、本当にありがとうございました。不束者ですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。