六日目

二日目、ヤクっぽく甘ったるいビールの向こうで、2匹の蝿が交尾するのを眺めている。美味いラヴィオリと不自由ない通信環境のあるこの店に自分の足だけで立ち寄れるのはたぶん今日だけで、そろそろ私は生活というものを始めなくちゃならない。

 

なんてカッコつけたことを書きつけたのがもう何日前だったか忘れた。なんだお前案外暇してるんじゃねえか──などとスカしていられたのも最初の三日、まず、人は「ここにいてもいいですか」というお許しをお国からもらい、「ここにいてもいいですか」というお許しを乞うた証明をお役所からもらい、「ここにいらしたんですね」というお確かめをお警察からいただかなければならない。次いで、人間、カネである。カネが必要ということは、カネをしまっておくガマ口がいる。銀行受付のオネエちゃんは何かあったら連絡ちょうだい、同僚に伝えておくわ、と端正なスーツ姿に反して歪んだ筆跡の名刺を渡してくれた。家主のおじちゃんはメールで想像していたよりずっと若くてエネルギッシュで脂ギッシュ、どうやら毎週金曜はアパートのDIYに勤しむらしく、彼はいわゆる金曜大工なのかもしれないが、「君はこっちに友達いるの?」と心配してくれるレベルで私はフランス語がやばい。──おうよおっちゃん、俺はフランス語ができねえが、「いやあ彼女フランス語できなくてね」というフランス語だけはわかるぞ、wi-fiとか電気会社とかいつも私の代わりに電話してくれてほんとめるしーぼくぅ。

なんの話かといえば恐れ多くも海外生活のお話である。

滞在して1週間も経たないのに、その国について書くことはとても、とても憚れるような気がしてならない。なぜなら私は、彼ら彼女らが語ることばの2割も拾えるかどうかのレベルであり、Le Pain Quotidienでマダムムッシュが何を語らっているのかなど当然わからず、私の拙いフランス語が本当に私の意図した通りに伝わっているのかさっぱりだからだ。

だからここで、例えば銀行員のお姉ちゃんが私に親切にしてくれているからと言って、それが本当に親切なのか営業なのか、ベルギーの人々がナミュールの人々が親切なのか、なんてこたあわからない。気に入った店に入って飲み食いしてる分にはドチャクソ美味くて楽しいが、ガマ口の中身を考えたらそんなこともしてられないし、そもそも自宅周辺にはうまそうなレストランもない。リア充してられるのは市街中心部のホテルにいられる間だけ、学校が始まったら毎日何が起こるのか、想像するのも恐ろしい。脳グソコネコネ溶けちゃうかもしれない。

ここではどんな生活が当たり前で、どんなお店でどんな食べ物を皆が買っているのか、朝何時に起きるとどんな光景が広がっていて、夜8時になっても明るいサマータイムとやらの是非は如何なものか、──何も、何にもわからないのである。幸か不幸か、今の世の中、それこそインターネッツでいろんな人の意見を漁れるので、在仏在欧の日本人が「フランスと比べて日本はふじこふじこ」「バーカそんなキラキラしたもんじゃねえよヨーロッパだってふじこふじこ」と対立しているのもしばしば見かけるけれども、私には次元が高すぎて全然ついていけない。なんでも遅れるだろうと思っていたら意外と時間通りだったり、バス停に立っていたのにバスが素通りしたりする。

世界は電波でできている。

そして時に、電波も通じない世界があったりする。

 

そもそも大事なことを忘れていた。これは私にとって初めての海外生活であり、同時に、初めての一人暮らしなのだった。

保険も銀行口座も、鍋も包丁も冷蔵庫もない「はじめから」である。今まで私はずっと、人生「強くてニューゲーム」がしたかったのだけれど、まあなんてことはない、これまでずっとずっと、チート装備で人生を暮らしていた。自分で流したトイレは自分で掃除せねばならない。なんてこった。

とりあえずヴァイオリンが弾けるところまでレベリングした。信じてもらえないかもしれないが、私にしては珍しく、生きることを楽しんでいる。