六日目・その②

塩よりも早くコーヒーの粉が底を尽きかけていたので、この家に来てから3週間が経ち、海の向こうだったはずの国で、6日間の学生生活を終えたことを知った。片手で羽虫を仕留める確率は4割に上り、一方で自炊率はこの1週間で半分程度にとどまり、なぜかといえばそれは、頭1つ2つタッパの違う人々と並ぶ時間、芝生の上であぐらをかき、ビール片手に意味もわからず笑い転げる日が増えたからである。

我ながらどうかしてると思う。

どうか勘違いなさらないで欲しいのだけど、26年、島の上で過ごしてきた石頭が、ちょっと海を渡っただけで語学とコミュニケーション能力の才覚に目覚め、あたかも現地人のように生活できている──なんてうまい話ではない。割とガンバっちゃってるのだと思う。証拠に、きょう、つまり、オーケストラとビールとマティーニの夜の後、早くも新学期2回目のレッスンを朝からいただいた今、あたまどころか指もうまく回らない。そのくせ目だけは冴えてしまって、もう寝ようもう寝ようと思いながらこうしてのそのそ起き上がり、ローマ字とキーボードの文字列が噛み合わない。

現実、片付いていない問題は山とある。ひとつ、履修すべき授業を果たして私は把握しきれているのかということ、ふたつ、4つ掛け持つこととなりそうな室内楽グループを満了できるのかということ、みっつ、アポをすっぽかしやがったPoliceあのやろうまじ許さねえ、よっつ、海越え山越え私の元へやってきた両親の愛情にかけられた税金をどうやって納めれば良いのかよくわからねえということ、いつつ、ようやく手に入れた学生証がなぜか校門のセキュリティシステムから弾かれてしまうので知らない誰かにメールすること、むっつ、室内楽の先生にコンタクトしなくちゃならない、ななつ、ピアニストに会いたい、ベートーヴェンを一から十まで、モーツァルトとフォーレをじっくり煮込んでくれるピアニストに会いたい、やっつ、とはいえやっぱフランス語何言ってるかさっぱりわからねえし、ここのつ、──先生ごめんなさい、私本当は英語でレッスン受けてもよくわからないのです、いっそ下手くそでもへっぽこでも、フランス語で臨ませてもらえませんか、きっとなんども聞き返すことになるだろうけれど、と、いつか、伝えられるだろうか。

もっとある。もっとある。いま忘れているだけで何かしら隠れている。現に今週、私はいちど、オーケストラのリハーサルをすっぽかしたのである。ポリスメンの悪口など言えない身分、これが仕事だったら即干されているし、日本の音大だったらTUTTIの前で事情を説明して頭を下げて「本当に申し訳ありませんでした」と言う他なく、今だって、あの時、──想像するだに恐ろしい、日本語が通じない彼ら、「気にしないで」と言ってくれた彼ら、本当は、何を感じていたのか。

けれども、「音楽が楽しい」とのたまう人々のあれがなんなのか、今、人生何十回目かの新学期を経験してうっすら想像できるようになった。あれは、たぶん、「音楽が」楽しいのではなく、「音楽を行うことによって生まれるコミュニケーション」が楽しいんじゃないか。──などと考えて、まるでだめ。もう考えがまとまらぬ。

 

とどのつまり、なんにもわかっちゃいねえのであった。

わかっていないうちに、何か、確かなことを書くことはできない。わからないことだらけだが、わからないということに慣れてしまってはいけない、ということだけはわかっているつもりです。

あさってからは座学も始まります。おお怖い。何が怖いって、自分で作った時間割が合っているのかどうか、ただもう、それに尽きるのです。どうせ眠れぬのなら、今夜はシラバスとにらめっこ。