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現代クリーチャー概論 ──ゼノちゃんとわたしの、遠くて近い隔たり

クリーチャーという生き物がいる。それは、画面越しにしか存在しない、グロテスクで悲しい生き物たちのことである。

 

彼らについて考える時、わたしは、なんとも言い知れぬさみしさを覚える。

今日はそんな、クリーチャーにまつわるさみしさを見つめ直してみたい。

この記事にはグロテスクな表現・映像が含まれています。苦手な方はご注意ください。

クリーチャーの姿から見るさみしさ

クリーチャーといえば、まずはその外見がわたし達の恐怖を誘い、生理的嫌悪感を掻き立てる。エイリアン然り、バイオハザードのケルベロスにリッカー然り。

しかし、我が国において、その外見と奇妙なカリスマ性から絶大な人気を誇るクリーチャーといえば、まごうことなき純日本産、正確には静岡「サイレントヒル」出身、レッドピラミッドシングだと思う。

彼はその外見から「三角頭」と呼ばれ、ちょっとAmazonでググればあら不思議、スタチューやらfigmaやらぞろぞろ出てくる。一部の界隈では「△様」などと崇められていたりする。

わたしも、三角頭をはじめとしたサイレントヒルのクリーチャーには、強く心惹かれる。グロテスクでエロティック。サイレントヒル制作チームが手がけたアート・ムービー「Fukuro」のきもちわるい心地よさにトリップし、誕生日プレゼントに三角頭のPVCスケールをねだろうか本気で悩んだ年もある。ナースはほんとうにだいにんきですね。

 

ただ、サイレントヒルのクリーチャーには、単なるエネミー以上の、重要な存在意義がある。

なので、彼らを例に挙げて一概にクリーチャーの姿を語るにはちょっと不公平かもしれない。ここはひとつ、絶対繁殖生体兵器:通称「エイリアン」──もとい、ゼノモーフにご登場願おう。

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「エイリアン」ゼノモーフに見るさみしさ

SFホラー映画「エイリアン」シリーズに登場するクリーチャーは、劇中英語によれば「ゼノモーフ(Xenomorph)」という。つまりゼノちゃんである。

※がっつりエイリアン画像なので苦手な人はご注意。

Xenomorph | Alien Species | FANDOM powered by Wikia

 

そして、そんな正式名称を知るずっと前から、わたしはゼノちゃんが好きだった。

と言っても、わたしはそのテの映画を平気で見られるタチでは、まるでない。むしろ、リビングで放映されている「エイリアン」の殺戮シーンや、「もののけ姫」の祟り神が疾走するシーンを、ドアの隙間からおっかなびっくり眺めているようなチキン野郎であった。

それでもわたしは、ゼノちゃんが好きだった。

 

ゼノちゃんは、頭がでかい。でも、身体は不釣り合いに細くて人間に似ている。初めて見た時から、わたしはわたしの父よりずっときれいなゼノちゃんの歯並びが、不思議でしかたなかった。ゼノちゃんはUSA出身のエイリアンだったから、矯正していたのかもしれない。

作品にもよるけれど、ゼノちゃんは基本的にのっぺらぼうである。器用なことに、口の中からさらに小さな口が突き出してきたりする。のどちんこはないらしい。

背中からメカニックなチューブのようなものが突き出ていて、長い尾を凶悪にぶん回している。カッコいい。そして、黒い外殻や表皮はてらてらとぬめっているかのように見え、口からは常に涎が垂れている。不憫なほど女の子にドン引きされるタイプで、しかもその体液は酸性で宇宙服ヘルメットも溶かしてくれるときた。ワキガどころではない。リプリーに鼻っ面を突きつけているシーンなんて最高に臭そうだ。

ゼノちゃん酸性冷血ビースト:ゼノちゃん

 

ゼノちゃんはなにせ生体兵器なので仕方ないのだけど、なんというかピーキーな生態である。ATKとAGIに全振りである。

そして、わたしがとりわけさみしさを感じるのは、ゼノちゃんがその凶悪な姿を人前に晒した時だ。

ゼノちゃんと見つめ合えないさみしさ

生命を狩り、繁殖することだけを本能とするゼノモーフの姿は、一瞬光に当てられるか、人間の視界に──カメラに写っておしまいである。ゼノちゃんの姿を見ることができるのは、彼らに狩られる人間か彼らを狩る人間であり、それは基本的に刹那のことでしかないのだ。

ゼノちゃんがきちんと生き物として動いている姿は、ほとんど、その場にいる人間には視認されない。ていうかそんなもん見たら負け、出会ったら死亡の世界なのである。

 

しかし。である。

やっぱり、ここは一人の人間として、じっくりゼノちゃんのことを見てみたい。

上野動物園のシャンシャンがあんなに大人気なら、惑星Lv-426のゼノちゃんのことだってじっくり見つめてもいいはずだ。ゼノちゃんがどんなふうに歩いてどんなふうに寝そべるのか、認知されるべきだ。ゼノちゃんだって卓球くらいする。

 

だいたい、どいつもこいつもゼノちゃん見るなりギャーギャーやかましいのである。

まあ泣きたくなる気持ちはわかる。漏らすよねあんなん。でもさあ、あなた方調査員とか傭兵部隊とかそんな感じなんでしょ。わたしのような凡人とは違うんでしょ。もちょっとこう、なんていうの、カメラ越しに現場の生の雰囲気っていうか、ナマのゼノちゃん実況中継してほしいんだよね。プロフェッショナリティがね、たりないよね。リドリーたまの意志に反する? 「4」では飼育されてた? 知ったこっちゃねえ、やっちまえゼノちゃん!

誕生するや否や始まる、ゼノちゃんの受難

そんなゼノモーフは何と言っても、人間のお腹から登場する。

 

ゼノちゃんの誕生シーンは、様々なクリーチャーのそれと比べても実に気合が入っている。ゼノちゃんだけではない、ゼノちゃん誕生に立ち会うギャラリーもそれはたいへん、仰け反り押さえつけ絶叫しての大歓迎である。

※ここまで読んでるあなたに何だけど、グロいので閲覧注意。

 

めでたい生命の誕生。そのシーンはことごとく悲鳴とか血とか内臓とかにまみれている。

でも、それが本来ならリアルなのだ。無痛出産が当たり前なのはこの地球上では人間くらいなもので、大抵の生き物は皆、血とか内臓とか粘液とか悲鳴にまみれて生まれてくる。牛の出産シーンを「銀の匙」で読んでみるといい。生命の神秘ここに極まれりである。

 

ただ、ゼノちゃんの場合は、そういった誕生の「痛み」が母親のそれではなく赤の他人のそれであるだけで。

そして、ついでに言うとその赤の他人は、生まれて間もないゼノちゃんめがけて、大概、おっかない武器を振り回してくる。

 

あんまりな話である。

近年発表された「プロメテウス」「コヴェナント」を観ると、ゼノちゃんはお腹から登場するとは限らないようだ。痛そうなパパを慰めようと抱きしめるママの指の間からこんにちは!

 

とはいえ、ゼノちゃんはゼノちゃんで負けてはいない。誕生シーンは誅戮シーン、多少の銃乱射にはビクともせず、それでも不利と見ると一旦は身を隠し、きちんと身なりを整えてから現れる。実にスマートだ。夕方5時頃の化粧直しもろくにできないわたしなんぞとは大違いである。

そしてゼノちゃんは突然、予想もしないところから現れる。

みんなのトラウマ ”クリーチャー 登場シーン”

予期せぬタイミング、予期せぬ場所での、衝撃的な登場。そして始まる殺戮ショー。これはゼノちゃんに限らず、他のクリーチャーにも共通する。

 

”クリーチャー 登場シーン”でみんなのトラウマをggってみれば、真っ先に初代「バイオハザード」のゾンビ犬ことケルベロスが出てくるんじゃなかろうか。

※イメージ画像

 

なにせ窓をぶち抜いての「ッバーン!!」である。そりゃビビる。

 

ただ、これはクリーチャー云々より単なる「びっくり系」に類する登場だ、

「サイレントヒル2」の三角頭の初登場シーンに匹敵するものでは、到底ない。わたしは、そう考えている。

レッドピラミッドシングの出現に見るさみしさ

三角頭の初登場は、マネキンを凌辱しているように見えるあの有名なムービーだと思われがちだけど、実は違う。彼はそのムービーの前、プレイアブルシーンで登場、いや、出現する。

鉄錆まみれのアパート。何度か往復した廊下、決してこちらからは足を踏み入れることのできない格子越しに、とつぜん、彼は現れる。

 

最初に通ったとき、そこには何も、いなかったはずなのに。

 

しかも△様の最高にCOOLなところは、決して、何もしないというところだ。ただ、無言で佇んでいるだけ。こちらがどれだけ近寄っても、何かしらのアクションをしても、彼は決して動かない。それがどうしようもなく恐ろしい。

この△様の登場シーンを前にしてしまったら、ゼノちゃんの誕生シーンはやっぱり赤ちゃんレベルである。ちょっと落ち着きと威厳が足りない。

 

そもそも、「ここは何度も通ったから」「ここは日の当たるひらけた場所だから」安全──なんてのは、人間サマの勝手な思い込みだ。

クリーチャーはどこまでいってもクリーチャーなので、わたし達人間とはおよそ違う思考回路や本能で動いている。何を求めて、どういう動きでどういうコースをたどることが可能なのかなんて、こっちには想像もできない。ゼノモーフは泳げない? 誰が決めたそんなこと。

子供達が遊びまわる公園の植え込みに、何気なく歩く自宅の廊下を折れた先に、押入れの中に、ひょっとしたら、彼らはいたのかもしれないのだ。

画面越しの彼らは、シュレディンガーの猫よろしく、わたしが手をかけなかったあの扉の向こうにいたのかもしれないのだ。

 

でも、今のわたしたちには、向こう側を確かめるすべはない。

それがとてもさみしい。

クリーチャーとわたしたちの間には、液晶画面以上に深く大きな隔たりがある。

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生命力に比例する、クリーチャーのさみしさ

そして、その隔たりの最たるものが、クリーチャーのトンデモ生命力である。

 

クリーチャーの死に様、そして人間のピタゴラスイッチ的発想ときたら本当によりどりみどりである。

瓦礫に押しつぶされる。火炎放射器で火だるまにされる。マシンガンで蜂の巣にされる。タンカーがタイミングよく激突してそのままログアウト。──エトセトラエトセトラ、いくら人智を武器にぶちのめしても、クリーチャーはむやみやたらにタフである。

ATKとAGIに全振りしているはずのゼノちゃんに至っては、宇宙の真空空間に放り投げなくちゃいけない。しかも、それでもトドメにはならない。「エイリアン」初代に登場したゼノちゃんは、息絶えることもなく、あのまま宇宙空間を漂い続けるほかにないのだ。

「エイリアン4」に登場するリプリーの子供とも呼べるニュー・ボーンは、最後、真空に吸い込まれて跡形もなく消えてしまったし、サイレントヒルのナースは黄金の右足、レッド・ピラミッド・シングは自らその役目を終える。

 

これはきっと、クリーチャーを好まない人にもわかっていただけると思う。人間の想像をはるかに凌駕した生命力は、とてもかなしいことだ。

ゼノちゃんが本能の赴くままに殺戮し、寄生するのと同じに、人間だって本能の赴くままに殺虫し、駆除し、排卵する。たとえ、どんな手段を駆使しても。根本的な解決には、何一つ至らないとしても。

 

なんということもない。結局のところ、わたしがゼノちゃんはじめ、クリーチャーを思い描いたときにさみしさを感じるのは、勝者の驕りなのだ。

いつか、エイリアンが訪れる時

わたしだってゼノちゃんに実際に直面したら無様に逃げ惑い、コンマ数秒後その命が持てばいい方だろうけれど、それでも彼らは、画面を超えてはこられないし、人間に敵うことはない。

 

それほどまでに、人間という種は強くてずる賢い。

たとえゼノちゃんがどんなに知能が高く、攻撃性能と繁殖性能を極端に高めた生体兵器だったとしても、

たとえレッドピラミッドシングがどんなにたくましく、主人公に罪を自覚させるために不死身の生命力を誇っていたとしても、

決してわたしたちと彼らは理解しあえないし、そもそも彼らは、画面の向こうからこちらへやっては来れないのだ。

 

それでも、わたしは時々夢をみる。

いつか、彼らクリーチャーが画面の隔たりを超えてきてくれることを。

 

そうしてやってきた異邦人エイリアンが、勝者の驕りをぶち壊してくれる時の訪れを、わたしはずっと、夢見ている。

 

 

 

と思ったらご近所にいた。

 

なお、ゼノちゃんはじめ、クリーチャーが生きている姿を一時停止しながらじっくり眺めたい人はゲーム・映像を、自分の手で触って弄り回してスカートの中身も見たい人はフィギュアを、それぞれおすすめする。

ABOUT ME
加藤 綾子
フリーランス音楽家という名のフリーター。 後ろ向きだっていいじゃない 人間だもの あやこ という意識の低さで生きている。ヴァイオリン演奏・ライティングなど、お仕事のご連絡はこちらにお願いいたします。ayakokatovn@icloud.com
室内楽演奏会「Endor」開催

「モーツァルトへの手紙」をテーマに、モーツァルト作曲の室内楽曲、そしてオーボエ四重奏のための完全新作「Endor」(エン・ドル)を初演いたします。

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