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私を殺す

いま、この国で学び、生活するのであれば、これだけは絶対に許すまい──と自分に課したことがある。まず、安易に、「この国」を語らないこと。もしこの国での経験について述べるのであれば、それらは個人的な体験であるということをはっきりと自覚し、必要であれば明言した上で語ること。それから、安易に、自分が26年も過ごした国と、そこから飛行機で半日かけてようやくたどり着く、この国とを比べないこと。住う人々、生活、学校、仕事、音楽、──なにもかも、比べられることではない。違いを受け入れて学ぶ時はあろうが、互いを比べて「こうだ」と決めつけることほど、私にとって恥ずかしくて恐ろしいものはない。

そもそも、26年過ごした国についてすら、私はなんにも語れぬのだった。私に語ることができる、「知っている」と言えることは、せいぜい、半径10cmくらいの経験でしかなく、ましてや自称音楽家の犬と暮らすが華だった人生、世間知らずもいいところ、これでもずいぶん気をつけているつもりだが、必ずボロが出る。もう、ボロボロである。うっかり、主語を大きくしちゃいけねえのだ。

だから、これからここに書くことも、いままで書いてきた「留学生活」なんてのも、個人的で偏屈でちっぽけな話でしかない、ということをご承知置きいただきたい。

ここにまず、私にとって、断言できる事実のみ並べてみる。──いい歳こいた音楽家気取りが、家族と犬、仕事、ある種のしがらみとか、環境とか、そういったものから遠く離れた場所で何ヶ月か学生生活を送った。ことばも満足にできないあやふやな状態で、外国人として勉強するようになった。

結果、私はいったい何をしていて、私は私について、何を思うようになったのか、いま、わかることを書く。──私は、以前より目の前の物事に取り組むようになった。私は、以前より寝たい時は寝て、勉強するときは勉強して、楽器を弾く時は楽器を弾くようになった。私は、以前より興味のないことを後回しにするようになった。私は、以前よりコンサートや美術館や飲みや買い物に、誰かを誘い、誘われるようになった。私は、以前より「わからない」と言うことが増え、それに対する答えを真摯に受け止めるようになった。私は、以前より適当に、気軽に、与えられた餌に食いつくようになった。私は、以前より人のことばを信じるようになった。

これら「以前」とはすなわち、「この国に来て学生生活を送るようになる前の自分」を指し、そしていま、私は、以前の私を忘れてしまうことを、何より恐れている。

 

私が苦しむことに対して、要するにお前は余裕があるのだ──と、何度も言われたことがある。所詮、お前は養うべき家族もおらず、私立の音大大学院に通わせてもらい、好きなように音楽ができてやりたくないことはやらなくて済む、だから時間も金も余裕がある、だから、そんなつまらねえことで悩むのだと。もっと必死に、音楽をやれよ、と。

こんな記憶もある。──好きなことをやればいい、苦手な人間や仕事からは離れて、本当に自分のやりたいことを見つければいい。「好き」で生きることが一番、嫌なことからはサヨナラ、苦しい環境からは離れるべき。もっと自分にやさしいことばをかけてあげて、褒めてあげてよ、あやこちゃん!

私には、いずれも受け入れられなかった。それらの理屈は、私にはどうにも気持ち悪かった。余裕があるから悩んでいる。嫌なことからは離れて、自分がやりたいようにやればいい。そんな、わかったように言わないでくれ。私の苦しみは私のものであって、あなたのものじゃない。

けれどいま、私は、私自身の手によって、その、気持ち悪い理屈を証明しつつある。私は今、目の前のことに夢中で、目の前に常に何かがあって、ついでに、その目の前の何かを超えると、たいがい、楽しい何かが待っている。言うまでもなく私は、かつて私がいた環境と物理的に距離を置き、慣れ親しんだことばはせいぜい液晶画面越し、いつ、どこで、誰が見ているかわからない、あの肌触りから離れて久しい。ちょっと初見試奏したら天地もひっくり返るほどのベタ褒め祭り、こなくそフランス語でも、いっしょうけんめい話せば子供がたどたどしく喋るのに似ているらしく、しかしDELFはボールペンのみ。

それら異国の言葉に嫌な勘ぐりもせず、できる限り応えようと努められるのは、所詮、私がまだこの国この街この学校に着いてほやほやの新参者であり、所詮、私がこの場所になんの思い出も傷跡も、いまだ刻んでいないからだ。

例えば、いつも気さくに食事に誘ってくれる彼女。例えば、オーケストラで戸惑う私に助言をくれた彼。コンサート帰り、たまたま鉄道で出会い、ずっと会話を続けてくれた彼女。タバコも吸えないのに喫煙所に混じり込もうとする私を受け入れてくれる彼ら。私は、彼らの、「私に親切にしてくれる一面」しか知らない。あの子はベジタリアン、彼はチリから来た、彼女は日本が好き、この人とはこないだ立ち話できた、──その程度しか、理解できていない。だってそりゃそうだろう、人が人を理解すること、人が人を理解すること、それは、生まれてずっと使い続けたことばを介していても、途方もなく難しい。

彼らもまた同じだ。私のことなど、なんにも知らない。私が日本でどんな生活を送っていたか、こんな文章をせこせこ書いていること、一畳半の防音室に閉じこもっていたこと、うるさくてやかましい高校生の「加藤さん」、ドブのように黒い大学生活、なんとか賞受賞なんとかオケ参加、──なあんにも、知らない。このまま、私がみずから語らなければ、きっとなにもかもがまっさらのままである。今までの自分などなかったかのように。

なんにも、わかっちゃ、いねえのだ。

何度も言う。私は所詮、所詮、所詮、なんにもわかっちゃいねえのだ。目の前にあることを生きる、それはつまり、目の前にあることしかわからないからだ。半径5cmに見えて聞こえることがすべて、そのすべての1割も理解できているかわからないのがすべて、私に、この私にわかることなど、なんにもありゃしない。ラインのやりとりの向こう、遠く離れた家族の表情さえ、私は満足に思い描けない。

わかったつもりになるな。お前がいま何もかも忘れて楽なのは、楽であるような気持ちがするのは、結局のところ、お前がなにもわかっちゃいねえからだ。

かつて私がこの国に行くと言った時、「いままでの自分を変えたいんでしょう?」と言った人がいた。違う。変わりたくなどない。幸せになどなりたくない。生まれたから、一度きりの人生だから、だから幸せにならなくちゃいけないと、いったい、誰が決めた? あなたが決めたのか? 違うのだそうじゃない、変わらなくても生きていけることを、私は私の身を持って私自身に証明したいのだ。

留学なんて金さえありゃできる。嘘じゃない、本当だ、こればかりは断言できる、ちょっと探して受けてみりゃいい、入試なんてガバガバでいい加減で、「楽器を上手に弾く」ことさえできれば、ほんとうにあっさり入れちまう、そんな学校がごまんとある。そのくせいつかは帰るかもしれないと思えば、さあ、それこそなにもかも押しのけて眼前に浮かぶ、──「あれで留学してきたの?」

ヨーロッパ、留学、へええ、ようござんしたね。それで、何語をお話になるんですの? コンクールはなにか獲られた? どこか劇場のオーケストラに乗った? 音楽祭は? そもそも、なんて学校でしたっけ? それで、結局、きみは、なんの仕事ができるの?

 

梅雨と夏。受験準備と入国準備と滞在準備に追われていた、2ヶ月の記憶。「留学することになると、おもいます」──そう、報告する時の、申し訳なさ、気恥ずかしさ、惨めさなら、いまでもまざまざ思い出す。そうとも行くだけなら簡単だ、それで、お前は、いったい何ができるんだ。

 

今の私には、今までの私を殺すことができる。

けれどもこれは、どこまでいっても私自身の話で、私には今の私、そして今までの私のことしか、書けない。オチはまだない。オチをつけられるのかどうかも、定かでない。

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Ayako KATO
ヴァイオリニスト。ブログはデトックス用。 biography
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