2019/01/25(金)、リサイタル開催。
日記帳

無責任で極めて個人的な日記を書くために

お恥ずかしい話です。

 

ある日、私は意識高いこととか音楽的なこととか、そーゆー「役に立つおハナシ」を誰かに向かって書き続けられる身分じゃない、ということに気がついた。

もっと、無責任なことばかり書きたいと心底思った。今年の5月なかばのことである。

液晶画面越しの目線

第一に、まず、私は人の目を見て話すのが辛い。生来のコミュ障なのである。基本、1畳半の防音室にこもっていたいタチなのである。

にも関わらず、1畳半の防音室の中でも、画面越しに仮想した人の目を見て、慎重にことばを選びながら話さなくちゃいけないのは、とても骨の折れる作業だった。

 

第二に、私はそもそも自分に自信がない。ないからこそ、「それでもどうにかする方法」を模索して、同じような悩みを持つ人のためと称して書き溜めてきた。「役に立つおハナシ」を語ってきた。

音楽にまつわる悩みアレコレこちらは加藤綾子のオフィシャルブログ「平成カトグラシー」の記事の中から、 「音楽活動や音大生活にまつわるお悩み」 についての...

そして、それらは決して嘘ではない。それらは自分なりに見つけた答えだった。今でも、書いてきたことはそんなに間違ってはいないはずだと思っている。

けれど結局、自分以外の「誰か」に向かって書いて考えても、肝心の私自身はクソのまま、自信なんてものは一朝一夕には身につかないのだった。いくら背伸びをしたところで、身長は149cmのままなのである。

 

第三に、そのクソみたいな私にとってギリギリ人にお披露目できるかもしれない「役に立つおハナシ」とは、つまり、音楽のお話になる。そして、その音楽のお話は誰のお役に立つのか、ということがキモになる。いわゆるブログ記事を語るなら必ず話題に上る、ターゲッティングとかペルソナとかそんなアレだ。あなたのハートを狙い撃ちである。

が、

考えてもみりゃ何様だっつー話である。

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同業者のことば

ただ、ありがたいことに、そんなお伺いまみれの私のことばを読んで、喜んでくれる方々がたくさんいた。

だから「次はあれを書こう、次はこう書こう」と考えることができた。具体的な「誰か」の目を見ることが、できた。でも、私は、いつまでたっても、やっぱりコミュ障で落ち込みやすくて自信のないクソなのだった。

なぜなら、どんなに具体的な「誰か」を狙い撃ちしても、私が結局行き着くところは、音楽界と呼ばれる場所だから。

同じ世界の同業者サマから一言「お前なんかがよくそんなエラそうなこと言えるよね」と言われたが最後、私は即刻ドメイン契約もサーバー契約も取り消して、オキニーな意識高いMac Bookもしまいこんで二度と開くまい。

実際、私はそれに近いことを言われたことが何度かある。

 

1畳半の防音室にすら、赤の他人の視線が滑り込んでくる。液晶画面越しに仮想していた「誰か」の顔は瞬く間に同業者のそれに変貌する。

今日、隣に座る同業者は果たして、私の名前を検索しているのかどうか。

もし検索しているなら、辿り着いたこのブログを見て、一体、この加藤某はどんなにか意識のお高いヴァイオリン奏者かと思うことだろう。そして、実物の私を見てどう思うことだろう。

ことばを消さない

それでも、私がドメイン契約もサーバー契約も取り消さないのは、ここまでかけてきた金と時間の問題もあるが、書きためてきた言葉にそれなりの愛着があるからだ。

本当にそれをしてしまったら、少なくともこの1年間、やってきたことがぜんぶ嘘になってしまうからだ。

 

こんなにも自信がなくてうじうじしてネクラでヲタク気質の私のことばに、それでも「読んでよかった」と言ってくれる人がいるなら、その人たちのことまで否定してしまっては失礼だと思った。それこそ何様かと思った。

ひょっとしたらこれすら驕りなのかもしれない。でも、「読んでよかった」と言ってもらえることはとても嬉しい。私のことばが誰かに通じることは、いちばんの喜びだ。それは今も変わらない。

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ことばの責任

ちょっと話が逸れたので戻す。要は、ことばに対する責任の有無である。

 

ヴァイオリン担いで仕事してお金をもらえてしまう立場である以上、もし私がここで音楽について語るならば、そこには、「ただのブログ」「ただのSNS発信」では済まされない責任が生まれる。

もちろん、どんな情報だってそれを発信するなら責任が生まれる。ただ、立場によってその責任の種類はガラッと変わる。

例えば「趣味で音楽が好きな人」がヴァイオリンについて語るのと、「楽器を弾くとお金がもらえる人」が自分の楽器について語るのでは、全く責任の種類、というか質が違う。

 

ものごっすい当たり前なことを申している。自覚はある。

 

問題は、その責任は私たち「音楽家」と呼ばれる人々が、常日頃から抱え込まなきゃいけないものだと言う、その一点に尽きる。練習しているときも、リハーサルに赴くときも、常に私の音楽には責任がつきまとう。

それなのに、WEBという、一度発信したらあっという間に拡散されてあっという間に保存されてしまう空間に、「私の音楽」なんてものをおっ広げていたら、当然、後になって「やっぱり違いました」なんてことは言えない。ただでさえ自分のことで手一杯なのに、溢れかえるものを放流していたらそれはもう産業廃棄物みたいなもので、とても、抱え切れたもんじゃない。

「私の音楽」はどこにもない。

だいたい、「私の音楽」なんてものは、一体、どこにあるのだろう。

 

今まで拠り所にしてきたつもりのそれは、実は単なる思い込みだった気がするのだ。私が今まで拠り所にしてきたつもりの場所は、人に言われ、人に評され、人と比べられた埋立地みたいなものだった気がするのだ。

「私の音楽」なんて曖昧なものは、少なくとも私の人生にはなかった。あるのは、クソどうでもいい私個人だけだった。

 

「自信を持て」「人のいうことを気にするな」──これらのことばは、とても強くて正しい。

でも、それは本当に自信のない、クソ人間には届かない。なぜなら私は、人の目を気にするから自分に自信がないのではない。自分の物差しに自信がないから、人の目を物差しとするのだ。

 

そうして、私の人生にはニセモノの「私の音楽」しかなかったのだと気がついたとき、これまでの薄っぺらい時間だとか価値観だとかに、ゾッとした。

私の人生には、本当に、こんなものしかなかったのだろうか。

他に何か、ないだろうか。あるはずじゃ、なかろうか。そうでなければあまりにも悲しい。

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無責任なことばを語る

あるはずの何かを見つけるためには、改めて自覚する必要があった。

すなわち、自分はクソであり、それを取り繕う限りはもう、何にも見つけられないんだと。

 

今さら、音楽に伴う責任を捨てることはできない。これはもう、何度も何度も、ずーっとずーっと考えてきたことだった。音楽をやめたい。でも、結局、やめられない。好き嫌いの問題ではない。音楽はもう、私の人生から引っぺがすことができない。

 

ならばせめて、無責任なことばを書いていたい。

というより、無責任なクソでありたい。クソのことなど誰も顧みないし、人は、自分が致したクソのことなど、秒速で忘れたいはずである。私は路傍のクソになりたい。

「誰かのために」なんておこがましいことを言っていないで、自分のためだけの無責任なことばを呟きたい。自分が好きだと思うものを素直に好きだと言い、嫌いなもんは嫌いだと言い、自信のないところには触れないで、自分の古傷をぶり返さなくてもいい場所が、1畳半の防音室以外に欲しい。

 

「私の音楽」なんてものはなかった。私が、私に自信と責任を持って宣えることなど、これまでの時間にはなかった。

私が確かなことばで語ることができるのは、私自身についてのみだ。私が好きだと感じたことであり、私がいいと思ったことであり、私が後悔したこと、苦しんだこと、今、こうして1畳半の防音室から抜け出せないこと、それしかない。

遠くのあなたではなく、通りすがりの誰かが読むことば

これまでは、PCの液晶画面越しに仮定する「誰か」のために「私の音楽」を、そしてそれに伴う諸々の考えをわかりやすいことばで書いてきたし、ブログなんてのはもともと、そのための手段だと思う。わかりやすいことばと図で、誰かに伝えるための文章を書く。それがブログの今の正当な使いかただ。

でも、これからは、ほかでもない自分自身のために「自分がいいと思う物事」を、自分のことばで書いていきたい。無責任なことばで、極めて個人的なことを語っていきたい要するに日記だ。

普通の日記と違うのは、そこには読んでくれる「誰か」がいることだ。でも、その「誰か」のことを、私は知らない。

 

誰が読むのか、読まないのか、考えないまま自分のことばを書いていく。その上で誰かが「こいつの日記面白ぇな」としおりを挟んでくれるのなら、それが一番うれしい。

無責任な私のことばを、無責任に楽しんでくれるのなら、そんなにうれしいことはない。

 

これは、とてもムシのいい話だ。

結局のところ、自分のことが一番なだけである。自分をクソだというが、それだって自分を取り繕っているだけなのかもしれない。ごちゃごちゃ御託を並べたところで、つまるところ「あたしゃあたしの書きたいことしかもう書きたくないのよ! ついてこれねえヤツぁ知ったこっちゃねえ! 文句あるかあ!!」という話に過ぎなかったりする。

とても無責任で、とてもムシのいい記事である。

でも、ムシの良くない話は、音楽だけでお腹いっぱいである。

ABOUT ME
加藤 綾子
フリーランス音楽家という名のフリーター。 後ろ向きだっていいじゃない 人間だもの あやこ という意識の低さで生きている。ヴァイオリン演奏・ライティングなど、お仕事のご連絡はこちらにお願いいたします。ayakokatovn@icloud.com
「コンプレクス。」2019/01/25(金)開演