ヴァイオリン・即興演奏の個人レッスン申し込み受付中!

「自分の音楽」で悩むあなたに伝えたい、わたしがクラシック音楽をやる理由

こんにちは。

ヴァイオリン奏者の加藤綾子(@akvnimp)です。

 

あなたは楽器を演奏していて、「『自分の音楽』ってなんだろう?」と考えたことはありませんか?

もっと言えば、

「なんでわたしはクラシック音楽(西洋音楽)なんてやってるんだろう?」

と考えたことはありませんか?

 

今日は、わたしなりに「わたしは、なんでわざわざクラシック音楽をやっているのか」という理由を書きます。

 「作曲家の音」を求めるのは難易度ベリーハード

クラシック音楽を演奏する人は、基本的に、「作曲家の音/音楽」を求めます。

ただ、元をたどればわたしたちは日本人。

立派な大和魂の持ち主、島国ド根性のサムライ魂です。

そんなわたしたちが西洋音楽を必死に学んで、「作曲家の音」を求めて、演奏して……というのは、考えてもみればなかなか難易度ベリーハードなことをやっていると思います。

 

なんてことを考えるきっかけになったのが、きょう拝見したこちらのツイート。

もーおっしゃる通りだと思います。ほんそれ。

「モーツァルトの音」「ベートーヴェンの音」「バルトークの音」……なんじゃらほい!ってかんじです。

 

だって、録音が残ってるわけでもない。残っているのは、楽譜とか証言とか手紙とか。

それなのに、みんなで「これはモーツァルトだ!」「いや、こんなのモーツァルトじゃない!」とかやってるわけです。気が遠くなります。

 じゃあ、「自分の音」って何?

しかも、

こうなったりします。

もう、なんだか「音」も「音楽」もゲシュタルト崩壊。アイデンティティー喪失。

 

はてさて、なんだって我々は西洋音楽なんてやってるのか?

そして、西洋音楽とかなんとかほっぽりだした、「自分の音」ってそもそもなんなのか?

そんなことをぐるぐるぐるぐる考えていた時期がありました。

▶ちなみに、わたしが即興演奏にハマったきっかけは「自分の音楽」を求めていたからでした。「即興演奏のために普段からするべきことはたった1つだけ。

 そもそも、音楽家の目的が「作曲家の音を再現する」ことだとしたら……

ここで、極端な話をしてみます。

もし、わたしたち音楽家の目的が「作曲家の音を再現する」ことだったとします。

そして、もし現在、

「当時のモーツァルトの音楽を知っていて、それを完璧に再現できる」

人がいたとします。

 

そしたらもう、わたしがモーツァルトの音楽をやる意味も、必要もなくなってしまいます。

 

というか、その完璧超人以外、だあれもモーツァルトの音楽なんてやらなくなっちゃうかもしれない。

なぜって、自分たちの役目がそこで終わってしまうから。

 「自分の音」が存在する限り音楽家はいなくならない

ところが、今現在の世を鑑みるに、「当時のモーツァルトの音楽を知っていて、それを完璧に再現できる」人がいたとしても、たぶん、クラシック音楽の演奏家はいなくならないと思います。

なぜかというと、それはやっぱり、「それぞれの音楽」が、「自分の音楽」が存在するからです。

ミもフタもなく言えば個性です。

 

でも、ここで必ず、こう言う方がいらっしゃいます。

「いや、個性なんて求めてないから。モーツァルトやるならモーツァルトらしく弾いてよ」

と。

じゃあ逆に聞きます。

「あなたのモーツァルトは、だれが求めるモーツァルトなのですか?」

「結局その『モーツァルト』は、『あなた』という個性が考え出したモーツァルトでしょう?」

と。

 あなたが好きな音楽が「あなたの音楽」になる。

クラシック音楽がなんで古今東西、辺境の島国の住民にまで演奏されているのかというと、答えは至極簡単、その作品が魅力にあふれちゃってるからです。

「この曲はなんていい曲なんだろう。おれも弾いてみたい」

と思う人がいるから。これだけです。

 

そして、

「この曲はなんていい曲なんだ」

とあなたが感じた、その音楽こそが、ほかでもない「あなた自身の音楽」なのではないでしょうか?

 

要するに、あなたが好きな音楽です。

思わず「いいね!」とか「♥」とか押したくなっちゃう、それが「自分の音楽」です。

「自分の音」「作曲家の音」を、どうやって他人に理解してもらうのかが問題

だから、

「おれはこんなモーツァルトがカッコいいと思う!」

「わたしはこんなバッハがきれいだと思う!」

そう思うのなら、そう弾けばいいとわたしは考えています。

 

「作曲家の音」とは、「あなたが思う、いちばんこの作品に似合う音」なのであり、それは結局、「自分の音」とイコールになる。

むしろ、わたしのような演奏家にとっての問題は、そこから先、

・「わたしが思う、いちばんこの作品に似合う音/音楽」は、どうやったら聴いている人に納得してもらえるのか?

この一点に尽きると思います。

 

ややこしいことを考えなくても、実は、「自分の音」なんてものはそこらじゅうに転がってる。

問題は、それをどうやって、まだ見ぬ赤の他人のみなさまへ届けるのか。

それが、わたしたちがなんやかんや言いながら、何百年も昔の音楽を一生懸命勉強する理由なんじゃないかしら。

 まとめ。

とまあエラそーに書いてきましたが、「クラシック音楽をわたしがやる理由」を要約すると、

「クラシック音楽が、だ──────いすきっ☆」

ってことですね。

自分が好きなものは、それだけどんどん膨れ上がっていって、自分以外の誰かにも伝えたくなって、共感してほしくなって、そうして、苦しむこともあればやっぱりうれしいこともある。

 

文句たらたら「やめたい」とぶーたれながら、わたしはきょうも元気に「自分の音楽」を勉強してます。

悩めるあなたも、どうか「自分の音楽」を信じてみてください。

それでは、また。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です