MUSIC

ブロガーでもYouTuberでもない、音楽家が音楽家のまま、SNSで発信するために

ここに書くのは、いわゆる音楽家のためのブログ・SNSノウハウ記事ではない。音楽家がブログやSNSをやっているだけで、ブロガーやYouTuberと呼ばれる理屈はない──というより、音楽家が*ブログやSNSをやるからといって、ブロガーやYouTuberになる必要はない。

これはそういう話である。

*以降、ひっくるめて「SNS」と表記。

音楽家がSNSにいるということ

まず、SNSという不特定多数がみる空間に自分の顔・実名・活動情報を晒すことに抵抗を抱いたり、生理的に無理だという人は、ほんと、ガマンしてまでやらなくていいと思う。

SNSを使わなくても、SNS上にいなくても、音楽はやっていけるはずで、何も、SNS上にいる音楽家だけが素晴らしかったり新しかったりするわけではない。SNSでのことは、どこまで行ってもSNSという世界の中のことでしかない。

 

ではなぜ、私を含めSNSを熱心にやる音楽家がいるのかといえば、自分の存在を世の人に見つけてもらうためだ。

毎年何千人と旅立っていく音大生、どうやってあなたを見つけてもらえば良いのか。また、仕事があるかわからないこの先、少しでも資産になるものはないか。──そう考えたとき、SNSは間違いなく選択するに足る世界だ。ウェブ上に実名と顔を出し、「私はここにいます」と常日頃発信し続けること。それは、今を生きようとする音楽家にとって、じゅうぶんあり得る選択肢だと思う。

 

そうして、努力次第で、SNSによってあなたを知る人は増える。あなたの発信を見て、面白い、興味深いと思う人が増える。少しずつフォロワーは増え、動画の再生回数あるいはブログの閲覧数も増え、あなたに共感し、あなたの発信を評価する人、発信がきっかけで、演奏会に足を運ぶ人が現れる。──それは素晴らしいことだ。誤解しないでほしい、それは嫌味でもなんでもなく、純粋に喜ばしいことだ。でも、それらの評価は、あなたの音楽の評価ではない。

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「あなた自身」≠「あなたの音楽」

SNSにおいて、全ては、誰かがあなた自身に興味を持つことから始まる。

たとえば、いまこのウェブ戦国時代、演奏動画をただ載せるだけで注目を集めることは難しい。そこには+α──あなた自身のなにか──が必要になる。演奏の選曲、動画の編集、SNSで拡散するときの文言、容姿、経歴、特技、「好き」、エトセトラ。そして人は、その+αを念頭において、あなたの音楽を聴く。

これはもしかしたら、SNSの有無にかかわらないかもしれない。が、一度SNS上で認識された「あなた」は、そう簡単には覆らない。あなたのブログを面白いと思った人は、あなたを音楽家ではなく「ブロガー」として認識するかもしれず、あなたのYouTube動画を面白いと思った人は、あなたを「YouTuber」として認識するかもしれない。発信の内容が演奏技法や楽曲解説、音楽に関するそれであっても、この認識は生まれる。

 

私の場合、発信とはブログであったり、Twitterでの発言であったり、プログラムノートであったり、さらに言えば、そこに含まれる(滲み出る)私自身だった。

けれども、突き詰めるほどブログはブログでしかなく、TwitterはTwitterでしかなく、音楽は音楽でしかない。音楽家のあなたが、いくらSNS上で「あなた自身」を切り売りしたところで、コンテンツとして消費されるのはあなたの音楽ではなく「あなた自身」でしかない。

音楽家がブロガーやYouTuberになるとき

もとよりSNSなんてのは、都合の良いところしか見せない世界である。それなのに、音楽家でありたいはずのあなたが、ブロガーやYouTuberとしか認識されないのであれば、そこには致命的ななにかがあるはずだ。

それを踏まえた上で、いまいちどggってみる。「ブログ 始め方」とか「YouTube やり方」とか。すると出るわ出るわ、ブロガーやYouTuber、広告収入でバリバリ稼ぐ人たちのノウハウ記事。キュレーションサイトは絶許。

そして、それらを鵜呑みにする前に考えてみる。「これは、自分が思う音楽家の姿か?」

これを真似ても、自分は、音楽家のままでいられるだろうか?

なぜならそこにあるのは、ホンモノの「ブロガー」「YouTuber」の努力の結晶であって、「音楽家として発信を始めようとする人々」のための情報ではないからだ。ホンモノのブロガー、YouTuberとは、まさに、自分たちの持てる全てを切り売りしてコンテンツにして、効率よく収入化することに日々、心血を注いで生活を賭けている。私たちが日々、音楽に注ぐ時間と同じくらいに。

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「SNSを活用しない音楽家は時代遅れである」

それでも、SNSと音楽をうまく組み合わせている音楽家はたくさんいる。うまいかどうかはともかく、私もおんなじである。そして、SNSは使えば使うほど、音楽と違って数字が出る。フォロワー、インプレッション、PV、収益。それらは利用者だけでなく他人の目にだって映るし、単純に数字が増えれば増えるほど、SNS上でのあなたの影響力は大きくなる。

だから、SNS上に映るものだけがすべてではないということだけは、忘れないほうがいい。

以降、話を延ばす。──SNSをやっていない人は時代遅れだと、それらのやり方を認めない人は古いから放っておけと、言う人々がいる。なるほど、これからは、SNSを用いた音楽活動が主流になるかもしれない。

でもどうか、あなた方がいる、そのSNSという世界の中だけで固まらないでほしい。そこにいない人々を、蔑ろにしないでほしい。無責任に煽り立てないでほしい。

加速するSNS活用によって、これまで書いてきたような内と外の齟齬もあるだろう。あるいは、単純にストーカー被害、周囲からの誹謗中傷もあるだろう。

ましてや、「自分たちと同じことをやらなければ時代遅れである」なんて、一体、どうしてそんなことが言い切れるのか。少なくとも私はそんなことは絶対言えないし、自分が音楽家として正しいことをしているのかなんてわかりゃしない。それでもなお言い切るのなら、それは、今まで我々のような人間を「邪道」「ブロガー(笑)YouTuber(笑)」などと嘲笑ってきた人たちと、同じくらい視野が狭いことだと思う。

もっと書く。──なるほど私だって怒る。お前のやってることなんて無意味だ、お前なんか音楽家じゃねえと言われれば、怒る。SNSを必死にやらないとお客が集まらない、そんなやつは音楽家じゃねえと言われれば、いったい何様だと思う。でもそれは、狭い見方の狭い言われ方だから怒るのだ。それで、ならばとこちらも狭く小さく「お前らは間違ってるおれ正しい」と先細りの様、なんだそりゃ、みっともねえ。

なんども繰り返しになるが、SNSでのことはSNSの中でしかないのだ。見りゃわかるでねえの、「選挙に行こう」などと何万も拡散されたくせに、蓋を開けてみりゃ投票率なんてあんなもんで、コンクールだなんだ、演奏でのし上がっていける人はきっとFBやTwitterに申し訳程度の宣伝とご報告の繰り返し、きっと彼らはWordPressのWの時もSEOのSの字も一生知らないまま、文字通り「音楽一本」で食っていくだろう。

 

どうか失念しないでほしい、どっちもいるのだ。Google検索してヒットしようがしなかろうが、いま、音楽家たちはそこにいるのだ。たしかに、かつて私をブロガーと言った人々は、あるいは、悪意を含めていたかもしれない。揶揄していたかもしれない。そして私はそれを拒絶する。静かに、ただひとこと、私はヴァイオリニストです、と、ひとこと拒絶する。

それでいいじゃねえか。

私だって結局のところ、いまこうして、自分の脳グソをコンテンツ化、ああくそたまらねえがコンテンツ化しているのだ。こんな横文字好きで使ってるんじゃない、切って、売っちゃってるのだ。そして、恐れ多くも音楽家を名乗るくせに、こんなことをやってていいのか? と思いながら書いてるのだ。私はドロくそまみれの、矛盾の塊だ。

──きみのブログは面白いね。で、演奏はどうなの?

本末転倒である。

今てめーが書いてるそれはなんだブログじゃねーかと問われるならば、はい、そうですこれはブログです、──なぜなら、私はたまたまブログを書くことが好きで、たまたまそれが喜んでもらえて、たまたまそれによってささやかなお小遣いがもらえて、何より、こうして文章を書くことで精神の均衡を保っているからです。

つまりそういうことだ。私個人の行いについていえば、意識高いだのキラキラ系だのアップデートだの、いうほど明るいもんじゃない。

音楽家が音楽家のまま、SNS上にいるために

プライバシー云々の話では、もはやない。あなたがSNS上に切り取ったあなた自身をみて、人々は「この人はこういう音楽家なのだ」と判断するだろう。切り取ったものをどんなに緻密に練り上げても、必ずどこかで軋轢は生まれるだろう。

答えはシンプル、ちくしょうまた横文字、ともかく、もしあなたが音楽家としてSNS上に現れたいと考えるのなら、ブロガーにもYouTuberにもならなくていい、ただ、音楽家のまま、世に出ればいい。

もちろん、それにこだわらないなら、この4,000文字の羅列は忘れてください。私は、そういった音楽家のあり方を否定したいわけじゃない。現にSNSを宣伝・資産として活用し、音楽活動を行っている音楽家はたくさんいて、私だってそのノウハウを先駆者に教えてもらったから今があり、それは、このままでは息絶えるかもしれない音楽界(とりわけクラシック系の)にとって、良い動きだと、信じたい。「自分は音楽家ではないんじゃないか」と思ってしまう、そうならないための話だこれは。

どの口がと思うだろう、でもこの口にはそんなことしか言えないのだ。

そして、我々がすべきことは、「こんな選択肢もある」と、ただ示すだけである。無責任に煽り、押し付けるなよ。また、そうすることで我々を締め付けるな。時代が変わるとして、誰かが誰かを切り捨てる理由は、音楽のどこにある。

ABOUT ME
加藤 綾子
ヴァイオリニスト。 biography