Music

モオツァルト

お前のそれはモーツァルトじゃねえ、バルトークやプロコフィエフやチャイコフスキーを弾いてりゃごまかされてるものが、モーツァルトを弾いた途端にぜんぶバレる、よくそんなのでヴァイオリンなんて弾いていやがる、──というのが私のヴァイオリンについての全てであり、早い話がモーツァルトさえ弾けりゃあ、本当に、なんだって弾けるんじゃないのかという気がしている。別にこれは、いわゆるモーツァルト崇拝とかではなくて、たまたま、私のヴァイオリンについて言えばそういう気がする、というだけである。じゃあおまえモーツァルト以外は弾けてるのかという、そんなの、言うまでもねえだろうが言わせんな。

モーツァルトモーツァルトモーツァルト、だってそりゃしゃあない、試験でもオーディションでもコンクールでもなんでも、このひとはいつだってつきまとう。コンチェルトもロンド・アダージョもシンフォニー39番もフィガロも魔笛も、いつもいつもいつもいつもいつも現れる。ぜったい、必ず、現れる。なので、私にとって「モーツァルト」は、それはもうおぞましい垢がびっちりこびりついていやがる。ここで一滴、垢落としの油を垂らしてみれば、くすんだ塊ごっそり剥ぎ落ち、剥がれたそれで一曲ぶんの譜面が書ける。

ただ困ったことに、この垢落としは実在しない。現実、垢は増えていく一方である。垢塗れの譜面である。そうしたら、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲:ヴァイオリンとオーケストラのためのコンチェルト イ長調 第5番 KV219の譜面が、見えなくなってしまった。

嘘じゃない。比喩じゃないのだ。その楽譜にこびりついた垢は、ある日のある1時間半、ある小さなレッスン室のあの日の光景とか、この日の舞台とか、あれとか、これとかそれとか、きれいに、あまたの思い出を描いてくれるのだった。五線譜、どこ。音、どこ。なんにも、見えないし聞こえないし弾けない。仕方ないので、海越え空越えたこの場所で、私は、5番の協奏曲を忘れることにした。ぼんじゅーる、4ème Concerto Ré majeur KV218。

久しぶりに開いたKV218の譜面は、それはもう輝いて見えた。しかもそのうえ、新天地での、映えある初回レッスンを飾ってくれやがったのだから、いやあもうこれは間違いない、俺はこれからこのKV218といっしょに心機一転、とりあえず垢塗れの思い出は忘れよう、それにほら、ここでは私のことなんて知ってる人間はだれもいないし! ──なんて有頂天も一瞬、さてこれを書きつけている今、私は、ふたたびあの日のあの1時間半のあのレッスンに舞い戻ってきた。曰く、

そんなのがモーツァルトだと思ってんの?

 

知らねえよ。こっちが聞きてえよ。てめえは何度も何度も夢枕に立ちやがって、今だってKV218の五線譜の向こう側に座って、私を指差してこういうのだ。お前なんかどこに行ってもやっていけない、と。なぜなら、私はモーツァルトが致命的に下手くそだから。モーツァルトが弾けないということは、他のどんな作曲家のどんな作品を弾いても、すべて、ハリボテの嘘っぱち、肝心なところをぼかしてごまかして、垢塗れにして飾り立てているにすぎないから。そしてそれは、私の生き方そのものだから。

──ところでお伺いしたいのですが、ねえ、なんですか、モーツァルトって? だれですか? モーツァルト、モーツァルト、モーツァルト。モーツァルトが弾けないと、やっぱり、だめなんでしょうね。彼の音楽を愛せないと、きっと、だめなんでしょうね。わかってるんです。わかっちゃいるんです。でも、もうなんでかしら、彼の顔もわからないんです、ぼかあ。

わからねえのだ。ほんとうに。

なんで私は、──モーツァルトを弾きたいはずの私は、どうしても、五線譜越しに過去の映像を見てしまうのだろう。いまなお消せないあの録音のあの声が、まざまざ甦るのだろう。みれーっれーれれっ、れっ、れーっ、それだけ、たった1小節を弾こうとする瞬間、どうしても、どうしても私は幾重にも重なるあの声を聞く。

お前なんか。

 

それでも私は、ぜったいに、この国で、モーツァルトにまつわるこの垢について語るまい。譜面の向こうに座るあなた方の名前を、口にすまい。私が私の手でモーツァルトに塗ったくってきた垢の正体を語るまい。覚えたての、この、真っ白なことばにまで、くすんだ汚れをなすりつけてたまるものか。

モーツァルトは何か。そんなのはモーツァルトじゃない。モーツァルトモーツァルトモーツァルト。

知らねえよ。垢でも食ってろ。

私は私を殺さないが、あなたのことならいくらでも殺してやる。

 

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