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「いま」を生きているひとたちの音楽って、こんなにもいきいきしている。 -山澤慧無伴奏チェロリサイタル【マインドツリー 2017】を聴いて

こんにちは。ヴァイオリン奏者・加藤綾子(@akvnimp)です。

先日、とんでもない演奏会にうかがってしまったのですよ。

山澤慧無伴奏チェロリサイタル マインドツリー 2017
「全曲初演」

9月12日(火) ムジカーサにて

内容は、チェリストの山澤慧さんが新作を委嘱した作曲家、
そして、自ら公募して選んだ10〜20代の作曲家、計7名の作品を初演する、というものでした。

そう、全曲初演

つまり、わたしはこの日、一夜にして計7曲もの作品の誕生の瞬間に立ち会ったわけです。

そのうちの一人は、今度10月23日(月)に共演していただく石川潤さんで、わたしも彼の紹介から今回の公演を知りました。

が。

「こんな音楽の世界があるなんていままで知らなかったぜ……!」

と、衝撃を受けるような、それはもう、ものすげー演奏会だったのです。

 

そんなわけで、まだまだ鉄が熱いうちに、コンサートの模様を綴っておきたいと思います。

はじめに。「いま」を生きるひとたちの作品

正直申し上げますと、わたし、現代音楽ってよくわかってなかったんです。

「即興演奏やってるんだから現代音楽もよく聴くんでしょ?」

みたいなことをよく言われるんですが、じつはそうでもなくて、むしろ聴くのは苦手な部類

自分で演奏する、なんてこともめったにありませんでした。

 

「やたら数学的とか理屈まみれとかセリーとかジェリーとかコンクリートとかなんとか、わけわからんわい!」

とか、

「特殊奏法で弓をぎこぎこやったりする必要ある? ヘンなことすればいいってもんじゃないでしょうよ」

……とか思っていたわけです。

 

でも、わたしのこの先入観は、

まっっっっったくの誤解でした。

 

わたしが「現代音楽」と聞いてぱっと思いつくひとたちって、

シュトックハウゼンとかジョン・ケージとかスティーブ・ライヒとかそのへんなんですけど、ここでひとつ、よく考えてみましょう。

今現在、西暦2017年。

上に挙げた作曲家たちが活躍していたころから、もうすでに30年とか40年とか、下手すれば一世紀経ってたりします。

 

ほんとにほんとの「現代」――つまり、「いま」を生きているひとたちの音楽って、じつは、それらとはまったく別物なんです。

ユニークだけど「わかりやすい」作品

誤解を恐れずに言えば、「いま」の音楽ってもっとわかりやすい

理論や形式を証明するためにあの手この手を尽くすのではなく、

「おれ/わたしはこういう音楽がやりたい、こういうものを表現したい。だから、そのためだったらなんだってやるし、(演奏者にも)してもらう!

という意気込みが、ダイレクトに伝わってくる。

 

もちろん、安直だとか安易だとかいう意味ではありません。

というか安直なことをしたいのだったら、なにもあんな道具こんな道具を使う必要はないでしょう。

 

どういうことかといいますと。

ソリストの山澤慧さんは、一曲ごとに入退場なさるのですが、そのたんびに持ってくるものが違うのです。

や、もちろんチェロは持ってくるんですけど、それ以外に、

・金属の筒

・洗濯バサミ

・黒い発泡スチロール

・なぜか弓を二本

・なぜか開演前から舞台隅に置いてある※カフォン

※箱型の、穴がひとつあいてて、直接楽器にまたがって叩く打楽器です。

「きょう、何の楽器聴きにきたんだっけ……」

と毎度どきどきする2時間弱。

 

ちなみに、わたしは最前列に座っていたので、特殊奏法や山澤さんの表情、演技(!)も思いっきりガン見できました。

みなさんも、もし新曲の演奏会に行くことがあったら、恥ずかしがらずに最前列に座って、演奏者をガン見しましょう。

「なんと、この楽器でこんなこともできるのか! そいつは知らなんだ……っ!」

と、やまほど発見があるはずです。

各作品について

ここからは、実際にこの公演で演奏された全7作品について、記憶のある限り書いていきたいと思います。

1.「ピッチピチ」小栗舞花

こちらはまだ10代のおんなのこの作品。

山澤さんいわく「タイトルにやられた」

タイトルの「ピッチピチ」は、文字通り若さの象徴だそうな。

 

弓をいっさい使わず、ピツィカートや楽器をこすったりすることで表現される“若さ”が、とってもチャーミング。

こすり方ひとつ取っても、音色が違う。

笑っているようだったり、怒っているようだったり、あれ、ぜんぶ楽譜に書いてあるのかしら。

最後はチェロをギターのように抱えてぎゃんぎゃんぎゃんと弦をはじき、まさかのフィニッシュ。

 

演奏会の開始にふさわしい、ユーモアにあふれる作品でした。

「へえー、新曲ってこんなかんじなんだ」と意外な気持ち。いい意味で肩の力を抜かせてくれます

2.「蓑笠子」川上統

ミノカサゴ。おさかなの名前です。

こちらの曲に関しては、なんとご本人がTwitterにて解説してらっしゃいます。

専門的なことは、こちらをお読みになったほうがわかりやすいと思います。

まだまだ続いておりますので、ぜひご覧になってください。
ヘッダーの絵もご本人がお書きになられた、ということかしら……?

作曲家ご本人がおっしゃるとおり、弓二刀流のイメージが強烈。

なのですが、この、なかなかイカした外見をしたミノカサゴ。
その尾びれや背びれのひとつひとつがはためいて、泳いだりする様が、チェロの特殊奏法によってうまいこと表現されて、なんだか深海にいるような感じ。

弓二刀流のやりかたは、基本的に片方は通常の位置、もう片方は指板の上を弾いたりおさえたり、だったかな?
こうするとハーモニクスっぽい音が出て、ついでに弓の動きもつくので、かなり可能性が広がりそう。

ちなみにヴァイオリンでもやってみたんですけど、E線がきっつい。左の弓がぷるぷるしちゃうわ!
指板のうえでいっくら弓を動かしても音が鳴らないし、あれ、左の弓は置いてるだけで弾いてなかったのかな?

あとは金属の筒を指板の上で滑らせながら弾いたり。
こうするとよりノイズっぽいハーモニクス音が出ます。

ちなみに、川上さんの解説にあるコルレーニョバットゥータ」 “col legno battuta”というのは、弓の背、つまり木の部分で弦を打つように弾く奏法のこと。

実は200年も昔、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲でも使われていた歴史ある特殊奏法です。

ほんとに打楽器みたいな音がします。
今回の曲では思いっきり弦をぶっ叩いてたので、それはそれはすんごい打音がしてました。カッコいい。

 

3.「color song Ⅶ for cello」福井とも子


こちらの動画は「color song Ⅲ」の演奏です。

 

ザ・ノイズ

 

実を言うとわたし、あんまりノイズって好きではなかったのです。
ノイズ・ミュージックというものがあるのは存じておりますし、即興演奏でギャンギャンやるのは好きだけど、「それだけじゃ音楽にはならないよね」――などと澄ましておりました。

でも、思い知らされました。
ノイズは音楽なのだと

曲の9割方がノイズ。ここまでやるかってかんじ。すがすがしい。いさぎよい。あっぱれ。

弓で弦を押さえつけるのはもちろん、黒い発泡スチロールで弦を押さえたり、もう使えるもんはぜんぶ使っちまえという精神を感じます。

が、それだけではありません。
ノイズのひとつひとつに、表情があり色があり意味がある

次々と繰り出されるノイズを間近で聴いていて、わたしは鳥肌が止まりませんでした。

それは単に「ノイズだから」という理由ではなく、この曲が持つエネルギーだとか、感情だとかがもろに伝わってきたがゆえ。

つまり、「音楽」だったからこそなのです。

また、あれだけのノイズをコントロールできるソリストの技術に感服しました。
山澤慧さんは現代奏法のレクチャーもなさっていて、こちらはその動画。
山澤さんの現代奏法に対する理解の深さにはびっくりです。

4.「夜明け前のセレスティーノ」中川統雄

さあ、とうとう舞台隅のヤツが動きを見せました。

そう、カフォンです。あれ、カホンかな……?

こどもの背丈ほどもない長方形の箱。

そいつが、黒服の男性の手を借りて、おもむろに舞台の中心へ、ピアノ椅子に取って代わって現れる。

ぽっかりとひとつ、穴を空けてわたしを見つめているカフォンちゃん。
もうだいたい想像はつくけれど、わたしはなんとなくその真っ黒なおめめとにらみ合っていました。コロス。

そうしているうちに、何度目かの拍手と入場。

客席の間を縫って現れたソリストは、靴を脱ぎピアノ椅子の代わりにカフォンに座るのでした。アチャス。

というわけで、チェロ+カフォン+「コロス」「アチャス」な作品。

レイナルド・アレナスの同名の小説から着想を得たそうです。
アチャは「斧」、コロスは「合唱隊」。いとこたちのコロス。アチャス。

声とチェロがシンクロ、カフォンもシンクロ、アチャス、アチャス。

歌いながら弾くってすっごく難しいんですよ。
よく練習で、譜面の音を読みながら弾くことはあるけれど、あれはけっきょく、弾いてる音と歌う音が同じだから、慣れれば難しくはない。

でも、今回の曲はアチャスアチャスコロス

ついでにいうと、カフォンをかかとで叩きながらチェロを弾いてる。わけがわからなチャス。

腰浮いてまチャス、おしり浮いてコロス。足も浮いてチャスけど、宙浮いてたのかなチャス。


作曲者ご本人もこの通り。

最後はとうとう立ち上がって歩いてっちゃった山澤さん。チェロ弾いたまんまです。
そして姿が見えなくなるや否や入る、休憩開始のアナウンスで終了。

……かと思いきや、なんと、この曲にはまだ続きが

全7作品の演奏が終了したあと。舞台状で拍手に応えていた山澤さんが、とつぜん、

「アチャス、アチャス、アチャス!」

弓を振りかざしたのです。

わっ、とどよめいた会場。「これで、本日の公演はすべて終了しました」と笑う山澤さん。

これは作曲者の中川さんからご指摘いただいたのですが、この最後のくだりは、きちんと楽譜に書いてあるのだそうです。

中川統雄さん、ご指摘ありがとうございます。

ということで、文字通り「最後まで」気が抜けない作品なのでした。アチャス。

5.「乱声」高橋裕

洗濯バサミで弦を挟んでピッツィカートすると諸行無常の鐘が鳴る。

 

ほんとです。今度試してみてチェロのかた。ヴァイオリンだとさすがに無理だろうなあ。

プログラムノートによりますと、乱声(らんじょう)とは雅楽で演奏される無拍子の曲、あるいは鬨(とき)の声を上げることを指すそうです。

鬨の声……つまり、戦場で勝利したときにもののふたちが上げていた、勝利の雄たけびですね。

 

みゅ――――――――んと一本の音を弾き続けているかと思いえば、突然ばっちんごっちん言い出したり。

ぎゅいんぎゅいんやってると思ったら、突然、しん、と無音の瞬間があったり。

 

間のつかいかた、静と動のコントラストがすばらしくって、個人的に緊張感がマックスに。

そして、前半からここまで積み上げてきたドス黒い緊張感が、次の曲でまったく違う色に変わるのです。

 

6.「My Precious」石川潤

この日唯一、演奏時に客席の照明が完全に落ち、山澤さんと楽器だけがスポットライトに照らし出された作品でした。

演奏だけではなく演技も行う作品。
というより、演奏が演技の一部だったのかもしれない

 

チェロを愛おしそうにかかえて、愛撫しながら始まる作品。

ときには楽器を客席ではなく自分に向け、愛をささやくような、なだめるような、言葉少ななピッツィカートを行う山澤さん。
このピッツィカートは山澤さんのことばではなく、チェロのことばを表現しているのでしょう。つまり、一人二役

じっとチェロのことばを聴き、みつめる山澤さんの目が、間近で見ていると吸い込まれそうなほど底知れない。

終始静寂に満ちた作品。ひたすらふたりだけの世界へ籠っていくような、閉じられた音楽。
車や電車、会場外の音まで聞こえてくるほど静かな、屋根裏での密会のよう。

 

演奏者ご本人も、「今回の演奏会プログラムに加えることでより意味が増す」と、プログラムノートに書いておられました。まさしくそのとおり。

これ、ヴァイオリンでやってみたいなー

と思った作品です。

どんな楽器でも応用できそうですが、弦楽器の姿がいちばんしっくりくる気がします。
やっぱり姿かたちが女体っぽいからかしら。てことはわたしがやったら同性愛ってことになっちゃうのかな。

これ以上は深く考えまい。

 

7.「Kang・Chen – 無伴奏チェロのための -」福士則夫

演奏会最後を締めくくったこの作品。
タイトルはチベット、ヒマラヤ山脈の「kangchenjunga」という山に由来しているそうな。

小石がひとつぶ落ちたかのような音で始まります。
でもそれは小石ではなく、巨大な岩山の一部だったということが、すぐにわかります。

 

今回演奏された一連の作品群。
そのコンセプトは、「チェロの新しい可能性」だったそうです。

言われてみれば納得で、7曲はそのいずれもが、様々な手法でチェロの限界に挑んでいました。

そのなかでこの最後の作品は、まさしく正統派な無伴奏チェロのための作品だったと思います。

 

もちろん特殊奏法とかめっちゃ使ってましたし、そうでなくとも超絶技巧的要素がちりばめられていたのですが、とても「チェロらしかった」。

根幹に、「チェロの音色、チェロだからこそできることをしよう」――という思いがあったのかなあ、と聴きながら考えてました。

 

山澤さんの鬼気迫る演奏が、わたしの五感を惹きつけて放しませんでした。
途中、「チェロが汗かいてる」と思ったくらい。

もちろん山澤さんの汗が楽器に飛んだだけのことなのだけれど、そう錯覚するくらい、作品と演奏者のシナジーがすさまじかった。

最後の音が弾き切られたとき、なんだか、コンチェルトをまるっと一曲聴いたような気分に。
わたしはただ椅子に座って聴いていただけなのに、ものすごい疲労感が押し寄せてきました。

 

ほんと、プログラムの順番からなにまで、ぜんぶキマってました

次から次へと出てくるものぜんぶが新しい、「だれも知らない音楽」。

あのスリルに満ちた感覚は、即興演奏によく似ています。

 

さいごに。新曲が生まれる瞬間に立ち会うということ

以上、【山澤慧 無伴奏チェロリサイタル マインドツリー 2017 「全曲初演」】のレポートでございました。

今回の作品の魅力が、少しでも伝わりましたでしょうか?

 

わたしも冒頭に述べたとおり、現代音楽ってどうしても敬遠されがちです。
(その点、即興演奏とやや親近感を覚える……)

でも、考えてもみれば、「いま」を生きているひとたちの作品をリアルタイムに聴ける、ってすごいことなんですよね。

 

だって、ベートーヴェンさんとかブラームスさんとか、いくら話を聞きたくても死んじゃってるからどうにもならないじゃないですか。

その点「いま」生きているひとたちは、演奏会に行けばプログラムに顔やプロフィールが載っているし、最後に立って挨拶してくれるし、終演後に直接お話を聞くこともできるし、SNSで解説してくださるかたもいます。

一時は、既存の音楽から遠く離れることを目指していた「現代音楽」が、いまはもっと身近に、いきいきと目の前に存在している。

なにより、

お宝の山みたいなアイデアをざっくざっくと掘り返し

それらが産声を上げる瞬間に立ち会えるなんて

音楽を愛するひとびとにとっては、このうえない喜びのはずなんです。


▲「全曲初演」ということばの重さよ……。

 

また、特殊奏法楽器を痛めつけるように見える手法は、どうしても抵抗があります。

わたしもよっぽどの曲でない限り、特殊奏法があるときはサブの弓を使っちゃいます。「楽器が命」である以上、それはそれでしかたないと思います。

 

でも、忘れちゃいけないのは、

そういった手段を作曲家が選んだのには、きちんと意味がある

ということ。

 

どんなに不可解に思えても、書いてある音すべてに意味があるのは、今も昔もおなじこと。
それだけはずーっと変わっていない

 

そういった「作曲家の意図」を真摯に受け止め、考え、まだ何も知らなかったわたしにガツンと教えてくれた山澤慧さんの熱意たるや、計り知れないものがありました。

わたしも新曲やりたい。やらなきゃいけない。

と思いました。

そして、「初演」ということばには大きな責任が伴うものなのだ、とも。

 

だって、こんなにたくさんの音楽が、いま現在生まれては、日の目を見ずに埋もれてしまっているかもしれないなんて、もったいない。

仮に初演にこぎつけたとしても、演奏者に理解と誠意がなければ、作品の魅力はつゆも伝わらないかもしれない。

初演が上手くいっても、そこから次へ繋がらなければ、その作品は忘れられてしまう。

 

だから、わたしが今後音楽家として活動していくならば、

「いま」を生きているひとたちの作品を、もっと広めたい

そう思ったのです。

……作曲家のみなさま、即興演奏もできるヴァイオリン、一本どうですか。

 

この記事を読んだあなたが、少しでも「いま」を生きるひとたちの音楽に関心を持ってくれたら幸いです。

ではでは。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

「いま」を生きるひとたちの音楽が、もっともっと発展していきますよう。

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