うしろ向きの呟き

「これはクソです。」

クソは、1畳半の防音室で犬と共に生活している。

 

クソは、熱しやすく冷めやすく落ち込みやすい、千変万化のクソである。できることなら、1畳半の安全地帯にこもっていたい。しかしそれではおぞましい悪臭がたまるばかり、臭いものに蓋はただの詭弁、朝の散歩だけは欠かさず、用事があればのろのろと身支度をして出かけていく。

楽器ケースの蓋を開けるとき、黒い譜面を追いかけるとき、内職をしているとき、眠りから覚めたとき、クソは、生まれてきてから今までの自分の振る舞いを思い返す。

クソは、自分がどんな悪臭を放っているのか、想像するだけでも恐ろしい。人からどんな形をしたクソだと思われているのか、そればかりを気にしている。

なので、一度1畳半の外に出向けば、見るもおぞましい芝居を始める。クソでありながらクソではないかのように脱臭し、変形し、声を上げる。

 

隣に座る人、後ろに座る人、前に座る人、立っている人、ここにはいないがいつか今日のことを耳にするであろう人、──クソはクソなので、クソではない人々のことを想像しながら、芝居をする。まさに恥もへったくれもない。

仕事中、休憩中、食事中、散歩、世間話、──クソは、おにぎりを頬張りながら人と目を合わさぬ術を覚えた。気づいていないフリをするには、サングラスがぴったりだということも知っている。

 

そんなクソのことを、笑う人もいれば冷たい目で見る人もいる。しかしクソはクソなので何を言う権利もない。

 

できることなら、クソはクソらしく黙っていたい。1畳半だけの世界に閉じこもり、犬と共に横たわっていたい。しかしクソは生きているので、酸素と水と食べ物と金がなくてはいけない。

だから今日が終わり、帰路に着くとき、クソは、無残な自分の姿を思い出す。世にも恐ろしい悪臭を放ちながら、電車の隅で行儀よく座っているつもりである。クソに似合わぬ荷物を背負い、排気音で蒸した夜の中を歩いて、1畳半の安全地帯へ帰っていく。

そうして、明日に向けて、生まれてきてから今日までの振る舞いを思い返し、クソは震えるのである。夜、寝付けないのは暑さと狭さのせいではない。

 

クソをクソとしてさらけ出さないことが、一番クソだとクソは思う。

 

明日、きっと、クソはまたクソではないフリをする。

でも、クソはどんなに取り繕ってもクソでしかない。

防音室が世界になる前の、自分の姿を思い出す。「これはクソです」と居直らず、「クソはクソでも肥料になるいいクソだよ!」などとスカしていた頃を思い出す。

思い出す。屁をスカすくらいならクソを晒そう、と思ったときのことを。

 

クソには何もわからぬ。知っているのは自分がクソであるということだけだ。

自分のためのクソすら顧みないのなら、とっとと自然に還るのがいい。

 

クソに罪はない。

 

ABOUT ME
加藤 綾子
フリーランス音楽家という名のフリーター。 後ろ向きだっていいじゃない 人間だもの あやこ という意識の低さで生きている。ヴァイオリン演奏・ライティングなど、お仕事のご連絡はこちらにお願いいたします。ayakokatovn@icloud.com