音楽全般

音楽をやるときは、根性も気合いも超どうでもいい。

こんにちは。

加藤綾子(@akvnimp)です。

 

「根性」「気合い」「努力」

こういう要素って、音楽にとっては超超超どうでもいいことなんだなあと思う今日この頃です。

できていないことを、根性と気合いでごまかす

その昔、わたしの周囲にはおっかない人がたくさんいて、

「こんなこともできないならヴァイオリンやめたほうがいい」

とか、

「そんな悩み、他の人に言わないほうがいいよ。言うと『よく今までヴァイオリンやってこれたね』って思われるから」

とか、言われてきました。

 

なんでこんなこともできないのか。

なんであの子はよくて自分はダメなのか。

こんなこともできない自分はおかしいんじゃないのか。

こんな簡単なこともできないままなんて、誰にも言っちゃいけない。そんなことがバレたら、わたしは音楽なんてやっていけなくなる。

だから、根性と気合いと努力っぽいことでごまかしてきました。

 

どんなにキツイことを言われて、どんなにキツイ目に遭っても、

「ふんだ」

と虚勢を張ること。

舞台の上、人前ではさも自信満々かのように振る舞って演奏すること。

時間だけ掛けて、自分を追い込むだけ追い込んだつもりになって、必死で練習しているフリをすること。

 

根性があるから。気合いがあるから。負けん気が強いから。

だから、自分はきっと大丈夫。

そう思い込み、見せつける術を身につけました。

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根性と気合いは本物には通用しない

が、そんなもん、本物の前では通用しません。

 

いつからか、わたしは「根性がある」「気合いがある」「ガッツがある」「華がある」などと言われるようになりました。

そして、それだけでした。

 

「よくさらってあるね」みたいなことを言われたら、それはもう赤信号。

所詮、自分の演奏は、

「よくさらってありますよ」

「一生懸命弾いてますよ」

という、その程度のことしか表現できていないわけです。

根性と気合いは音楽には必要ない

気合いを入れること、根性があること、結果はともかく努力をすること。

 

たしかに、これらの行為はこの先も、ひとびとの間で美談として語り継がれていくことでしょう。

だって、そのほうがみんな、希望が持てるからです。

赤の他人の、根性と気合いと努力を見るだけなら、それをカッコいいと思うだけなら、タダです。

 

でも、音楽に関して──演奏に関して言えば、その演奏者がどれだけ気合いに満ちているか、努力をしてきたか、なんてのは本当に心底ど────────────でもよく、

ましてや、その「頑張ってるアタシ☆」感とか滲めば滲むほど、ほんと、ヘドが出るレベルで痛々しい。

 

根性を見せつけたければ、そういうテレビ番組とか映画とか漫画とかで表現するべきなんだと思います。

もし、どうしても音楽でそれがやりたければ、少なくともクラシックには向いてません。個人的なアレとかコレとか、見せつけられても困ります。

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ハリボテの音楽になる前に。

そして何より、そんな音楽は浅はかなんだと思います。

言ってしまえば、そんなごまかしの音楽は、ハリボテ同然です。

 

だから、わたしはいま、ボーゼンと立ち尽くしています。

 

自分でも、なんだか言ってることがブレてきてるなあと思うし、ひょっとしてこの記事を読んで不愉快になる人もいるかもしれないけれど、でも、これだけはたぶん本当だと思います。

音楽において、自分が頑張ってるかどうかなんて、そんなものはクッソほど関係ない。

 

だって、そんなの、みんな当たり前にやってるんだから。

 

頑張ってるのに頑張ってないフリすることのほうが、

みんなが当たり前にやっていることを黙々と突き詰めていくことのほうが、

ずっとずっとむずかしくて、意味がある。

 

そんなことをふと、思いました。

それでは、また。

ABOUT ME
加藤 綾子
フリーランス音楽家という名のフリーター。 後ろ向きだっていいじゃない 人間だもの あやこ という意識の低さで生きている。ヴァイオリン演奏・ライティングなど、お仕事のご連絡はこちらにお願いいたします。ayakokatovn@icloud.com