MUSIC

私が即興演奏をやっていてよかったと思う6つの瞬間

2019年、こんなことを書き連ねたわけだけれども、それでも、単純に「即興演奏をやっていてよかった」と思う瞬間が、ある。メリットとかそういう話ではなく、ただ単に、譜面から音楽を読む人が即興演奏に触れると、そういう世界が見えるのだ──という参考にしていただければ幸い。

ここでいう「即興演奏」は通奏低音とかジャズとかフリーインプロとかとはまた違う、スタイルのない即興演奏のことです。

周りの音を聴くことができたとき

周りの音を聴けるようになると、「あ、この人が何か言ってる」と気づくようになり、次に、「あ、この人はこういうことが言いたいのかも」と思うようになり、「ああ、この人は私の音に反応してくれてるんだ」とわかるようになる。

「じゃあ、あの人は? さっきからずっと同じ音を鳴らしてるのは誰? なにを伝えようとしてる?」

と、どんどん考えるのが楽しくなってくる。外国語を習得するのとちょっと似てる、というより、違うことば同士なのにコミュニケーションが取れる。

 

いくら「周りの音を聴け」と言われてもわからなかった私が、オーケストラや室内楽、誰かと共演するときに「聴く」ことを少し理解した。それは間違いなく即興演奏があったからです。

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自分のやりたいこと・表現が相手に伝わったとき

周りの音が聴けるようになると、今度は、その人たちに反応してほしくなる。どんな音を出せばどう伝わるのか、自分が出したい表現はどんな演奏で示すべきか、考えるようになっていく。

そして、これがハマって、周りの人が反応してくれるとめっちゃ嬉しいのである。

それは予想外の反応であることも多く、一方で、私がガーーーッと弾きまくって、「ここだ!」というところで弾くのをやめると、相手もちょうど同じ瞬間に演奏をやめてしまう、謎のシンクロ率を発揮することもある。お互い、音をたくさん鳴らして弾いていたら、突然、あるところでまったく同じ音を弾いてしまったりする。

 

こういう経験が一度あると病みつきになる。この音ならどうだろう、この表現ならどうだろう、と考えるのが楽しくなる。

急な演奏の依頼が入ってきたたとき

ぶっちゃけこれはもうメリット以外の何でもねえのだが、書く。

「ちょっとヴァイオリン弾いてよ!」と言われたらほいっと弾ける。「即興演奏のライブやろう」とか「1時間くらい企画して」とか、1週間前に言われても(たぶん)ヘーキ。

「クラシックでもなんでもいいから、45分のプログラム組んで!」と言われたら、最低10分は即興演奏で埋められる。リサイタルだってできる。

 

さすがにヴァイオリン一本で45分埋める自信はない(やっている人はいる)。でも、急な依頼でも即興演奏に助けられる場面は多いし、観客も喜んでくれることが多い。

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即興演奏でない本番、予期せぬハプニングが起きたとき

オーケストラなど、譜面のある本番で、リハーサル通りではない音楽になってもそんなに焦らずに済むようになる。

「リハーサル通りにやってくれなきゃ困る!」という人もいるけれど、クラシックだろうが即興演奏だろうが、音楽は音楽なのでどうやったってリハーサル通りにはいかねえだろう──と思う。

そもそも、「譜面がある」音楽の代表例みたいなクラシック音楽だけれども、それだって昔は即興演奏から始まったわけで、どんな音楽も即興的な要素からは切り離せない。

「クラシック音楽ができるなら即興演奏もできる」という仮説について「即興演奏やってみない?」と持ち掛けたとき、ダントツで反応が悪いのがクラシック音楽を学んでいる人たちなのだけど、クラシック音楽ができるな...

子供に喜んでもらえるとき

私は子供がドチャクソ苦手である。小学校中学年くらいから勝手がわかってくるが、もっと小さい、低学年幼稚園児になると、何がツボにはまって何が気に食わねーのかさっぱりである。

が、おかげさまで彼ら彼女らには、モーツァルトだろうがバルトークだろうが関係ない。

いろんな音を、いろんな音楽の表情を知ること。どうやらそれが彼ら彼女らのいちばんの喜びらしく、私がなにかしら即興するとエライ喜ばれる。

即興演奏によって、「ぎゅいんぎゅいん」とか「ばちんっ」とか「ドレミファソラじぃぃぃぃぃっ」とか、もちろん、きれいなメロディであるとか──その楽器の、ありとあらゆる魅力をその場で引き出せる。また、自分もその引き出しを知ることができる。

それも、即興演奏の魅力の1つだと思う。

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いろんな人と演奏を通じて仲良くなれたとき

私は根っからのクラシック畑の人間であり、ついでに言えばとんでもねえコミュ障である。

が、即興演奏を知ってからというもの、サックス、トロンボーン、声楽、エレキギター、ドラム、果ては和楽器の演奏者と共演できるようになった。いわゆる「現代音楽」と呼ばれる音楽ではそう珍しくありませんが、普段、なかなかヴァイオリンが共演できる人々ではない。

そうして知り合った方々の中には、今でも親交が続いている方もいるし、これからも、私は即興演奏を通じて色んな人たちと交流していけるかもしれない。「音楽はコミュニケーションである」なんてまあ使い古された言い回しだけれども、案外間違いではないと思う。

※「スタイルを持たない」即興演奏について

最後に、私が言う「即興演奏」について。

冒頭で「スタイルを持たない」と言ったけれども、つまりそれは、クラシック奏者がクラシック奏者のまま行える、数少ない即興演奏でもあります。

たとえばジャズのアドリブにはジャズの語法を知り、「ジャズ奏者」としての側面を習得する必要があるけれど、この即興演奏にはそれすらない。必要なのは、白紙の状態で人の、そして自分の中の音を聴くことだけ。

元を辿れば、どんな音楽だって即興演奏だった。譜面があろうがなかろうが、音楽は音楽でしかない──ということを思えば、即興演奏の即興云々ではない、ただ、音楽としての一面が見えてくる、そんなことを、最近は考えている。

ABOUT ME
加藤 綾子
ヴァイオリニスト。 BIOGRAPHY
AYAKO KATO à Namur, Belgique.

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