かつて、『ドントクライ、ガール』と題された、女子高校生と全裸男による私生活が一世を風靡した。いやあ、ひどい事件でしたね。
そんな変態やろうから云々年。ヤマシタトモコ氏は、女子中学生と人見知り女の私生活を描き始めた。
それがこの「違国日記」なのだった。

contents
ヤマシタトモコ「違国日記」あらすじ
『違国日記』
作:ヤマシタトモコ
掲載誌:FEEL YOUNG
あらすじ:子犬みたいな女子中学生と、生き物の数え方が「1、いっぱい」の人見知り女がいっしょに暮らす話。
「異なる国」ではなく「ちがう国」なのがミソ。断じて百合漫画ではない。
「誰が何を言って 誰が何を言わなかったのか」違国日記page.1
ネタバレ有。ここからは『違国日記』の内容に多少触れます。
話の軸となる「女子中学生と35歳少女小説家」の暮らしが始まるのは第2話=page.2から。
page.1は高校3年生の朝と、38歳の槙生ちゃんの生活から始まる。
で、このpage.1でおわかりの通り、基本的に違国日記はこういう話である。どういう話かというと、衝撃的なコマ割りとか展開とかはほとんどなく、他愛もない会話と、そこに挿入される心理描写ですすんでいく。
この第1話、ぶっちゃけ「大丈夫かこの漫画」と思うレベルで中身がないのだけど、後になって「ああ、3年前(=本筋)とここが違うのか」と納得できるような、微妙な距離感や空気が伝わってくる。
- 前髪で眉を隠し切った朝の目線。“いんげん高すぎ。いんげん破産しそう”というTwitterさながらのスマホへの打ち込みは、よく見ると「Diary」=日記であることがわかる。
- 槙生ちゃんとのやり取りは素っ気なくて自然で、朝は、くたびれクールなアラフォー女の横顔に、“ちがう国”と思う。
- 編集者と思しき女性との電話ののち、“「死んでくる」ね…………”と指で机を空叩きする槙生ちゃんは、なんとなく不穏な感じがする。
緩い会話劇のくせして、いわゆる日常漫画とも、そしてもちろん百合漫画とも違うのは、こういうやんわりとした棘が随所に含まれているからだと思う。「誰が何を言って、誰が何を言わなかったのか」──page.2の槙生ちゃんの台詞は、たぶんこのpage.1から生きている。
同じ空間に生き物がいるだけでしんどい人のことば
そんな、時折やわい棘が見え隠れする槙生ちゃんは、ともかく人見知りで、何事も「怖い」というスタンスで生きている。
でも、そんな彼女の言葉遣いはとてもきれいだ。
色々挙げたらきりがないのだけど、やっぱり代表的なのは、槙生ちゃんが盥回しにされていた朝を、勢いで引き取ることにするシーン。
「あなたの寝床はきのうと同じだ そこしか場所がない
部屋はいつも散らかってるし
わたしは大体不機嫌だし あなたを愛せるかどうかはわからない
でも
わたしはあなたを決して踏みにじらない」
──引用元:『違国日記』第1巻
ベタな展開なんだけど、槙生ちゃんのこの言葉遣いとコマ割り、吹き出しの間が絶妙。そして、度々登場する「あなた」という二人称を、ここまで違和感なく使える槙生ちゃんのキャラクター。
こういう、漫画じゃないと表現できない間が、ヤマシタトモコ氏は本当にうまい。
槙生ちゃんの魅力は「…」にある
でも、個人的にこの辺の台詞は、やや決めゼリフ感がある。
そうではない、槙生ちゃんのもっと、人見知りゆえにきれいになってしまう台詞がある。例えばpage.6、朝の旧家(田汲家)に遺品整理をしに帰った場面。
『気に入ってるものは持って帰ってもいいか』と朝に問われ、槙生ちゃんはこう答える。
もちろん あの…うちに入りきらないほどは無理だけど
…持ち主がいないからって捨てなきゃいけないことはない
…よく選んで
まあ…多くなったら倉庫サービスでもなんでも使えばいいし
(太字は筆者)
──引用元:『違国日記』第2巻
「…」多っ。
でも、この「…」に、槙生ちゃんの気遣いとか距離感が詰まっていると思う。
「持ち主がいないからって〜」という、この時点の槙生ちゃんにしてはだいぶ砕けた口調の後に、「…よく選んで」。
この「よく選んで」という一言が、とてもきれいなのだ。
ここの「…」には、槙生ちゃんの葛藤を感じる。「ちょっと余計なことを言ったかな」と思って、選んだ最低限の一言が「よく選んで」なのだ。「よく考えて」「よく選べばいい」でもない、「よく選んで」。
なんならこの一言なしに「多くなった倉庫サービス云々」のくだりに入ったっていい。でも、槙生ちゃんはここで「…よく選んで」と、丁寧なことばを挟む。
そう、この「…」は、人見知り・コミュニケーション苦手ゆえの「…」なのである。なに言ってるかわからない? うるせえ!
「こんなあたりまえのこともできないの?」
そんな槙生ちゃんには、どうしても看過できない古傷がある。むしろ、その傷があるからこそ、美しいことばを話すようになったのかもしれない。
朝の亡き母親──つまり、槙生ちゃんの姉・実里(みのり)との確執だ。
「こんなあたりまえのこともできないの?」
事あるごとに、槙生ちゃんが朝の背後に思い出してしまう実里の台詞。あの、キッツイですお姉さん……
実際に言われたことがなくても、誰しもきっと、似たような経験や視線を感じたことがあるはず。「こんなこともできないなんて」という圧を。
2巻まで発売された時点では、実際に槙生ちゃんと実里がどんな関係であったのか、母親としての実里がどんな人間であったのか、ほとんど描写がないのでなんとも言えない。
ただ、このトラウマとかPTSDみたいな感覚が、身に覚えがありすぎて辛い。ふとした拍子──それは決まって、ちょっと前に進もうとした時だとか、目の前にある現実を受け入れようとした時に現れるのだ。
「こんなあたりまえのこともできないの?」
槙生ちゃんの場合、それは姉の呪文だった。人によって、それは親であり、教師であり、友人であり、恋人であるかもしれない。朝の言う所の「圧」は、一度浴びせられるとずっとずっと、人のこころを縛り付ける。だから槙生ちゃんは、朝をかわいいと思いながら、それでもやっぱり、愛せるかどうかわからない。板挟みにもほどがある。
日記の行間みたいなもの
そんなわけで、page.1の高校生・朝と38歳・槙生ちゃんの日常は、とても重要な意味を持っているんじゃないかという気がしている。
例えば、page.1でチラッと登場するレンジでチンする蒸し鍋。
この鍋、実はpage.4の生ちゃんの旧友ダイゴを交え、3人で餃子を作るシーンに登場するものと同じである。
もっと言えば、page.1の槙生ちゃんと朝の会話は、page.4の槙生ちゃんとダイゴのそれにとてもよく似ていると思う。
「槙生ちゃん この1週間で見たことない顔してた し」
「槙生ちゃんは わたしの「友達」ではない」
──引用元:『違国日記』第1巻
page4.でダイゴと話す槙生ちゃんを見て、朝はそんなことを思い、「モヤッ」とする。
その「見たことない顔」をたぶん、page.1の槙生ちゃんは朝に見せてくれている。
3年前、朝は朝で、両親が亡くなったことに対して、まだ「悲しい」とさえ感じていなかったし、(ギョウザに何が入っていたか思い出せないシーン、いいよね)要するに、高校生の朝と38歳の槙生ちゃんは「友達」っぽくなっているんじゃなかろうか。
『違国日記』感想まとめ
人見知りがゆえにきれいな言葉を話す、槙生ちゃん。
そして、それは槙生ちゃんだけではない。槙生ちゃんの旧友・ダイゴは、高校生最後の日に「きみがいなかったら息ができなかった」という手紙を書き、槙生ちゃんはそれを読んで「生きていていいんだ」と思う。
朝は「悲しくなったら言うから」と槙生ちゃんに感謝を告げ、槙生ちゃんの元彼・笠町くんは、両親について「育てることと愛情は別にあった」と漏らす。
要するに、違国日記は今流行りの「共感作用」みたいなものにどっぷり浸かっている作品でもある。
もちろん、ここからどうやって第1話の友達みたいな会話に解けていくのか、とか、槙生ちゃんと姉の確執はどうなるのか、とか、こまごまとした伏線らしいものはある。
でも、登場人物の言葉に共感できなければ、ほんとうに全く心に残らない作品かもしれない。彼ら彼女らの魅力は、ある意味萌えに近いものがあるので、「あ、そういうのいいです」的な人はそもそも受け付けない可能性がある。
……それにしても、これら槙生ちゃん付近と比較した時の、朝の親族やら学校の教師やらの「大人らしい大人」たちの、ダメっぷり・無神経っぷりはヒドイ。槙生ちゃんバリヤーでだいぶ緩和されているけど。
あと、ダイゴのタレはマジでうまい。
きれいじゃないヤマシタトモコはこちら
ちなみに、棘が刺さりすぎてきれいじゃないヤマシタトモコが読みたい人は、「運命の女の子」とか「ヒバリの朝」あたりを読んでえぐられるといい。
特に「運命の女の子」収録の『無敵』『きみはスター』は、いいぞ。登場人物が何を考えているのか、短いページ数の中でぞわぞわ明かされていく。たまりませんよ。