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出来ない事は、出来ないと言おう。──太宰治の『正義と微笑』に学んだ言葉

こんにちは。

ヴァイオリン奏者の加藤綾子(@akvnimp)です。

 

できないことを「できないと」と認めるのは、簡単なようで難しいと思います。

とくにこの歳になると、なんだか、「こんなこともできないの?」と言われそうで怖くなってきます。

 

なので、このさい、えい、言っちまおう!と思うのですが、わたしは、モーツァルトを弾くのが苦手です。

恥もてらいも捨てて言えば、ヘタクソです。

もっと言えば、ヘタクソです。

一応言っておくと、いままでだってモーツァルトは勉強してきました。

コンクール、試験、オーケストラのオーディション、まあ、いつでもどこでもにょきっと現れるのがヤツです。

 

古典中の古典。基本中の基本。

だから、クラシック音楽を専門にしようとする人々は必ずモーツァルトを勉強するし、モーツァルトを弾けなきゃいけない──のですが、ヘタクソです

もちろん、弾けます。

それっぽく弾くことだけならできます。

でも、「モーツァルトの音楽」とやらが何なのか、いまだにわたしはピンとこないのです。

普段勢いとか根性でごまかしてる部分が丸裸になってしまうし、人前でモーツァルトを弾いたり、レッスンを受けるほどおっかないことはありません。

 

で、そーすると今度は、

「そもそも、モーツァルトの音楽ってなんぞや?」

だの、

「モーツァルトもまともに弾けないとか、いままで何してきたの?」

だの、

「モーツァルトもろくに弾けてないってことは、他の作曲家の作品だってマトモに弾けないってことじゃん?」

などなど、余計なことを考え始め、練習も捗りません。

真っ黒な負のスパイラルです。

 

でも、最近、こんな言葉に「あーそっか」と納得してしまいました。

出来ない事は、出来ないと言おう。思わせ振りを捨てたならば、人生は、意外にも平坦なところらしい。

──太宰治『正義と微笑』

これは、太宰治の『正義と微笑』という中編小説。

この作品はホントに大好きで、まーカバンに入れて持ち運んで文学系女子気取っちゃうくらい好きなのですが、不思議なもので、その時々によって「すとん」と納得できる言葉が違うのですよね。

この言葉も、「あーどーにもならん」とうだうだ読んでいたら見つけました。

▶個人的にオススメしたい太宰治の短編はコチラ。「太宰治は『人間失格』だけじゃない!おかしくて切ない、オススメ短編5選

 

そしたらアラ不思議、なんか、モーツァルトを練習するのが、そんなにイヤじゃなくなりました。

鏡を見ながら、自分の録音を聴きながら、「モーツァルトの音楽」を探すのが、そんなにキライじゃなくなりました。

 

そうか。

出来ないことを「出来ない」と認めていないから、あたしゃこんなにめんどくさいのだ。

ようやく、それを認めることができました。

 

「大学入ってもまだあんなことやってるんだ」

「社会人になって、仕事してるのにまだあんなこともできないんだ」

そう言われるのが怖い。いまだって怖い。

でも、もしそんなことを言ってくる人がいたとしても、

「じゃあ、それをエラそーに言ってるあんたは、なんでも出来るのか?」

と思えばいいし、そんなことをいちいち気にして、自分の欠点も認められないほうがよっぽどバカバカしい。

 

他人の目を気にして自分を見失うな、とよく言いますが、その「自分」には必ずしも長所だけではなく短所も含まれています。

長所を伸ばすことも大事ですが、短所は短所として認めないと、本当に大事なことから逃げてしまう。

▶︎「やりたいこと」をやっていたけど、「やるべきこと」から逃げていたかもしれない──という話はコチラ。『1年間を振り返ってみたら、「クラシック音楽からは逃げられない」とつくづく思いました。

 

というわけで、他人の目が気になって、何がなんやらわからなくなってしまうあなた。

やるっきゃないのです。

ダメな自分を、認めちゃいましょう。太宰が曰く、見つめ直したそこには、平坦な道のりがあるようです。

 

わたしの今年の課題曲は、モーツァルト。

それでは、また。

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