日記帳

自分の力で泣け。

こんにちは。

加藤綾子(@akvnimp)です。

 

学生時代、何かあるとすぐ「泣く」「泣ける」と騒ぐ、あの瞬間がどうにも好きになれませんでした。

たいした意味もなく、ちょっと悲しかったり、喜んだりしただけで、みんな「泣くー」とわめく。

理由は、「みんなが泣いているから」。

 

わたしは、ただ、悔しくて、許せなくて、恐ろしくて泣いたことがあります。たくさんあります。

小学生のころは男子に蹴られ、殴られ、女子からはいわれのない罵りを受けて泣きました。

中学生のころは、毎週通うヴァイオリンのレッスンで緊張する自分が悔しくて、なにより先生が恐ろしくて泣きました。

高校生のころは、1年目に通った学内オーディションに2年目も受かるかどうかが恐ろしくて泣きました。そして、学内では評価されても、外部のコンクールはてんでダメで泣きました。

大学の第一志望受験のときは、二次試験の合否発表へ向かう電車のなかで、「きっとダメだ」とあきらめながら泣きました。

 

そして、大学生になってからは、自分が、周囲が、いろんなことが腹立たしく、許せず、たくさん泣きました。

 

すると、ちょっと前まで「泣く」「泣ける」と口をそろえ、わあわあわめいていたひとたちが、わたしに向かってこう言うのです。

「なんでそんなことで泣くの?」

「いい歳になって」

「もう大人になるのに」

どうやら、周りの空気を読んで、みんなでいっしょに泣くのは、とてもよいことらしいのです。

空気からはみ出て泣くから、わたしはダメらしいのです。

 

でも、おかしな話じゃありませんか。

「泣く」という行為は、そんな、おさまりのいいものじゃない。

時も場所も関係ない。感情が高ぶり、涙腺が刺激されるから涙は出るのです。

 

ところが、かつては「泣く」ことを簡単な共感の手段として使っていたひとたちが、いまではもう、すっかりそんなことはなかったかのように、すました顔をしているのです。

そして、他人の感情の高ぶりを指さして「あいつは子供だ」「これだからあいつは」と笑うのです。

 

「泣く」とは、そんなに哀れなことでしょうか。

 

そんなにおかしなことでしょうか。そんなに面白いことでしょうか。

だから、みんなでいっしょに泣けば怖くないのでしょうか。

 

涙というものは、空気を読んで流すものじゃない。

心から悔しい、うれしいと思っても、涙が出ないときだってある。

大概の「泣く」「泣ける」なんてことばは嘘っぱちです。

ほんとに泣くんだったら、そんなこと言うより先に涙が溢れてます。

 

「泣ける」なんて言ってからこぼれる涙は、嘘っぱちです。

 

自分の力で泣くことができなかったら、きっと、人生なんてつまらないと思います。

 

それでは、また。

ABOUT ME
加藤 綾子
フリーランス音楽家という名のフリーター。 後ろ向きだっていいじゃない 人間だもの あやこ という意識の低さで生きている。ヴァイオリン演奏・ライティングなど、お仕事のご連絡はこちらにお願いいたします。ayakokatovn@icloud.com