10/19(金)室内楽演奏会「Endor」開催!
美術

音が存在しない美術の静けさと、音が存在する音楽のやかましさ

静けさだのやかましさだのなんてものは、案外忘れ去られているものである。何がやかましくて何が静かなのか、なんてこたあ、人間、意識しちゃいないのである。

なので、いわゆる美術展だとか画廊だとか、そういう場所に行くと、普段自分がどれだけやかましい生き物なのかを実感する。

音楽は時々、あまりにも情報量が多すぎるように思う。

それを言ったら、視覚のみならず、時には触覚や味覚も用いて体験する美術はもっと情報量が多いんじゃねえの、という指摘はごもっともである。ただ、私にとって「ただ、そこにある」作品は、とても物静かでことば少なに感ぜられるのだった。

その代わり、彼らは何も言ってはくれない。

「いつまでもそんなところにいるなよ」とも、「とっとと先いけよ後ろ詰まってんぞ」とも教えてくれない。

それぞれ、思い思いに壁に寄りかかったり、直立していたり、床を這っていたりするばかりである。ときどき、声を出す者もいるけれど、それらは美術のための音であって音楽ではない。彼ら彼女らを産んだ人がとっくの昔に死んでいようと、あるいはいま、地球の裏側、もしくは私の隣近所で、せっせと子作りに励んでいようと関係ない。

 

なので時々、私は彼ら彼女らがとてもうらやましい。少なくとも彼らは、「いま、ここ」ではことばも音も必要としない。何も語らなくていいその佇まいは、せいぜい一歩隔てたくらいに近いくせに、どうしようもなく遠いのだった。

ABOUT ME
加藤 綾子
フリーランス音楽家という名のフリーター。 後ろ向きだっていいじゃない 人間だもの あやこ という意識の低さで生きている。ヴァイオリン演奏・ライティングなど、お仕事のご連絡はこちらにお願いいたします。ayakokatovn@icloud.com
室内楽演奏会「Endor」開催

「モーツァルトへの手紙」をテーマに、モーツァルト作曲の室内楽曲、そしてオーボエ四重奏のための完全新作「Endor」(エン・ドル)を初演いたします。

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