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昔、ヴァイオリンのレッスンを受けるのが怖くて仕方なかった話

こんにちは。

ヴァイオリン奏者の加藤綾子(@akvnimp)です。

 

わたしはその昔、レッスンを受けるのが怖くて怖くてしかたありませんでした。

初対面の先生とのレッスンが怖すぎる

とくに、初対面の先生のレッスンなんて言うまでもありません。

初対面の人と目を合わせて喋ることすら恐ろしいのに、演奏なんてマトモにできるわけがありません。

これに比べたら入試もコンクールも屁のカッパ。

 

なので、そんなときは大体とんでもない演奏になりました。

先生が目の前に座り、初めて出会った小娘の演奏をまじまじと観察しながら、

「あらら、この小娘は今まで何やってきたんだか」と考えている――

なんて思うと、もう、スケールすらマトモに弾けませんでした。

 

もうやだ。帰りたい。

お願いだから、一曲まるっと通させないでほしい。無言で先を促さないでほしい。

いっそ、一思いに演奏を止めてほしい。

 

そんなことを考えながら、どーにかこーにか、ズタボロな演奏をいっぺん通すわけです。

そして、ガクブルしながら先生の第一声を待ちます。

その、沈黙が、キツイ。もーなんだか、帰りたい! 死にたい!!

緊張してるのはわかりきってること。大事なのはそこじゃない。

ところが、先生からすればそんなの、当たり前なわけです。

初対面の生徒がやってきたら、そりゃ、緊張してるだろう、とわかっているし、なんなら先生だって多少、緊張しているかもしれない。

だって、生徒も先生がどんな人かわかっていないように、先生も生徒がどんな人か、さっぱりわからないのですから。

 

だから、そうして初めて演奏を聴いたとき、たとえば、

「この曲ってどんな曲だか知ってる?」

とか、

「この作曲家って、こんな話があるんだよ」

とかとか、

「なに考えて弾いてた?」

とかとかとか、

 

そういう、演奏中にはまったく考えていなかった方向からコメントをされると、わたしはぎょっとする半面、ほっとしていました。

わたしが緊張しまくってとんでもない演奏をしたことに、あえて触れない。

なぜって、そんなこと、先生にはわかりきっているから。

客観的に冷静に、「この娘にはいま、音楽的に何が足りていないのか」を指摘してくれる。籠城戦で必死になっている小娘の外堀から、ゆるゆると埋めてくれるわけです。

「レッスンはよいものだ」とわたしが思った瞬間

そういうレッスンを初めて受けたとき、わたしはようやく、「レッスンはよいものだ」と思いました。

それが、確か高校生くらいのころ。するとだんだん、レッスンのときに、自分の考えやら悩みやらを口にすることも、そんなに怖くなくなってきました。

とはいえ、いまだにビビリなので、たまに自虐スイッチがONになるとしどろもどろですが。

先日、オケスタ合宿なるものに参加したときも、緊張と周囲の視線(受講生の前で常に公開レッスン状態)でゲロッキー状態でした。

 

レッスンなんて、どうせ緊張します。本番と同じです。いや、本番以上です。

なので、ひたすら怖くて怖くてしょうがなかったあの頃に比べたら、どんなに緊張していても吸収できるものが植えたぶん、少し進歩したのかな、という気がします。

生徒も人の子なら先生だって人の子です。

生徒が自ら心を閉ざさなければ、先生は相応に応えてくれるんだと、わたしは最近、信じることにしています。だって、わたしが信じなかったら、先生もわたしのことを信じてくれないから。

▶音楽って結局信頼関係だよね──という話はコチラ。「あなたを信じるから、わたしは音楽ができる。

 

それでは、また。

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